仁淀川が注目を浴びるようになったのは、NHKのドキュメンタリー番組「仁淀川 青の神秘」が放送されてから。「仁淀ブルー」という言葉もこのときに生まれたが、これほど話題になったのは、人生を費やして仁淀川を撮り続けてきた高橋宣之カメラマンの存在、その写真や映像があってこそだと誰もが口をそろえる。

高橋カメラマンが最初に世に知らしめた「仁淀ブルー」は、この安居渓谷である。きっと、あなたが手にしているパンフレットにも氏の写真が載っているはずだ。

ぼくたちは仁淀ブルーを知り尽くした高橋カメラマンをコーチとして、ともにカメラを持って安居渓谷を歩いた。そして、あらためて「仁淀川はなぜ青いのか?」という問いを投げかけてみた。すると、こんな答えが返ってきた。

「ぼくは写真を撮りながら、それをずっと考えてきました。仁淀川が青い理由は5つあると思っています」

あなたも安居渓谷の仁淀ブルーを写真におさめながら、その青の神秘について考えてみてほしい。そして、あなただけの答えに辿り着いてほしいと思う。

1|仁淀川は“由緒正しい川”だから

「仁淀川は“由緒正しい川”である」とコーチは言う。トレッキングをすればわかるかもしれない。仁淀川の源流である「石鎚山」には手つかずの「原生林」が残されている。実は、原生林はどんなに雨が降っても水たまりができにくい。腐葉土に満ちた地面が雨をどんどん吸い込むからだ。そうして濾過され地下に貯めこまれた水が湧き出すことで仁淀川が生まれている。

一方で、植林した「人工林」は雨をあまり吸い込まない。降った雨は山の表面をなでるように流れ、表面にある土を巻き込んで土砂となる。原生林と人工林。どちらが澄んだ川になるかは言うまでもないだろう。

2|仁淀川は“急峻な川”だから

ラフティングをすればわかるかもしれない。仁淀川の流れは見た目以上に速い。源流の石鎚山は四国どころか西日本の最高峰。

1,982mの高さから太平洋まで急斜面を一気に流れ落ちる。それも、源流から流れはじめた水はわずか2日で海まで辿り着くという。にわかに信じられないとしても、その昔、仁淀川の上流から木材を乗せた船が、その日のうちに下流まで辿り着いたという記録は確かなもの。

それほどまでに仁淀川の水は生まれ変わるサイクルが早い。常に新しい水が流れ続けるフレッシュな川なのだ。

3|日本一雨が多い川だから

サイクリングで沈下橋を渡ってみれば想像できるかもしれない。高知県には日本一といわれるほどの雨が降る。そのときは川幅が一気に広がり、上流から茶色い濁流がゴウゴウと音を立てて流れ落ちていく。しかし、雨が降り止んでしばらくすると、濁っていた川はあっという間に元どおり。澄み切った仁淀川の姿になる。それだけではない。仁淀川に存在していた石や岩、そのすべてがひっくり返されて、あちこちを転げまわることで、河原の姿が一変する。川底の石にこびりついていたコケ類も一掃されて、ピカピカの原色があらわになる。いわば、豪雨によって川底がきれいに洗濯されるのだ。

4|岩が硬くてV字の谷だから

仁淀川で石拾いをしたり、水切りをしたりするとわかるかもしれない。仁淀ブルーを代表する安居渓谷には「緑色片岩」がたくさんある。緑色片岩の緑色が仁淀ブルーの青を支えていることは疑いようもないが、さらにもうひとつ。

緑色片岩にはめちゃくちゃ硬いという特徴がある。安居渓谷でなくても高知の地質帯は太古のもの。長年をかけて押し固められてきたから硬いのだ。だから、川の水に削られたときに「V字」の谷となる。地質がやわらかければ「U字」になるはずのところを、だ。石が硬いから削られたときの破片も少なく、泥のように舞い上がることもない。仁淀川の水がいつも澄んでいるのはそういう理由もあるのだ。

5|仁淀川人の心がきれいだから

「川は住民の心の鏡である」とコーチは言った。仁淀川を旅しているとわかるはずだ。地元の人たちは誰も川を汚さない。ゴミがひとつでも川に投げ捨てられているのを見かけただろうか?

仁淀川のキャンプ場も昔から地元の人たちによって使われてきた施設だが、細かいルールや注意書きはほとんどない。無料の施設が多いにもかかわらず、なぜ、これほどきれいに保たれているのか。それはみんなが当たり前に使ってきたからだ。

仁淀川に住んでいる人の心こそ澄んでいる。とあるコーチは言っていた。高知県はニュージーランドかどこかの外国みたいだと。県民全員が「アウトドアの作法」を心得ているように見える、と。

コーチと仁淀川との出会いはどんなきっかけだったのか。

コーチがまだ20歳のころ、愛媛と高知をつなぐ飛行機が存在したという。旧式の、立つこともままならない小型機であったが、飛行機の窓から仁淀川が見えた。上空から見た当時の仁淀川は淡いブルーで美しかったことをよく覚えているという。そして、仁淀川の河口が見えてきたところで、機長は「高知空港を探しています」というようなアナウンスをしたという。そう、当時の飛行機はいわゆる有視界飛行であり目視で飛んでいた。そのため、愛媛と高知を結ぶ仁淀川の流れを道標にして飛行機が飛んでいたのだ。

その後、カメラマンになったコーチはまず仁淀川の河口で「高知の波」を撮り続けた。それから18年が経って「やりきったかな」と思ったとき、振り返れば仁淀川がはるか向こうの山まで伸びていた。そこで、仁淀川をさかのぼっていくと仁淀川の青さに出会った。川の色だけではない。植物の青、虫の青、鳥の青。自然界には存在しにくいはずのブルーが仁淀川には満ちていた。その青に魅せられてシャッターを切り続けた。そうして、現在まで20年間、毎年300日を仁淀川流域の撮影に費やしているという。

その写真は自然を知り尽くしていないと撮れないものばかり。当然、森林についても造詣が深い。

たとえば、川には人間がいじってはいけない場所がふたつあるという。それは「山の頂上」と「川のふち」。山の頂上については原生林が川の命の源であるためだ。しかし、川のふちというのはどういうことだろう。

たとえば、川のふちに杉を植えてはいけないという。木の根っこは基本的に陸上で目に見えている範囲にしか広がらない。杉はスリムな木に見えるが、根っこもまたスリムなのだ。そのため簡単に抜けてしまう。川のふちに杉を植えると増水したときにどうなるか。流木となって被害をもたらすことだろう。

それだけではない。よく高知は森が多いといわれるが、実に高知の84%が森である。しかし、そのうち74%が人工林。つまり、杉がかなり多いのだ。杉は流されやすいだけでなく、常緑樹であるからして落ち葉が少なく、地面の土は水を貯めこみにくいものになる。杉は杉で役に立つ木ではあるが、50%ぐらいがちょうどいいのではないかとコーチは語る。

美しく見える仁淀川も抱えている問題は多い。そもそも仁淀川は生活の川である。だからこそ常に人間の影響を受ける。ダム問題もそう。とめどなく流れていた川が止まることで、常にフレッシュな水ではなくなってしまった部分もある。すると、コケなどの植生が変わり、それを食べるアユなどの魚の味も変わった。それでも、仁淀川はまだ日本一ともいえる清流である。そのことが“奇跡”なのだ。しかし、その青はいつまでも見られるとは限らない。仁淀川を美しいと思ったならば、ぜひこれからも定期的に通ってみてほしい。そして、この川の未来に関心を持ち続けてほしいと思う。

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