戦後の復興は「壺屋」からはじまった。

戦争が終わり、米軍の統治下となった沖縄。米軍は収容所にいた民間人の中から、まず「陶器」の職人たちを集めた。なぜ、陶器なのか。激しい戦争の末に人々は食器すら失っていたからだ。

はじめは収容所の近くに工房をつくろうとした。しかし、焼き物の窯をつくるのには時間がかかり、素材となる粘土を探すのも一苦労。作業はなかなか進まなかった。

一方で、職人たちは「壺屋」に帰らせてほしいと嘆願していた。壺屋とはその名前の通り、300年以上の歴史を持つ「焼き物=やちむん」の町。戦争による被害も少なく、窯や土などもそろっていた。米軍は壺屋でつくらせたほうが合理的であると判断して、立入禁止だった壺屋地区を解放することにした。

終戦から約3ヶ月後のこと。壺屋に足を踏み入れたのは103人の職人たち。彼らはさっそくお皿やお碗を焼きはじめた。その窯から立ちのぼる煙こそが、復活の狼煙であったのかもしれない。

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