流刑地であった時代には、身分の高い人が政治犯として流されることも多かった。知夫里が離島でありながら、さまざまな文化を持っているのは、そのような人たちが中央の文化を持ち込んできたからといえよう。
たとえば、島流しにあった「速了」というお坊さんは、一宮神社の芝居小屋で行われている村芝居の指導をしたといわれる人物だが、このお堂に安置されている「大般若波羅蜜多経」もまた、速了が持ち込んだとみられている。
この場所に限らず、石の灯篭のような五輪の塔が知夫里ではたくさん見られる。これらは知夫里に流されてきた偉人たちのお墓であるとされ、大きなお墓ほど偉い人ではないかといわれている。昔はこのようなお墓が色々なところに散らばっていたが、現在ではこうして地区のお堂に集められていたりする。