この道の先に「検校塚」と呼ばれる五輪の塔=お墓がある。しかし、現在は訪れる人もいなくなり、道がわからないほど草が生い茂っている。あなたもこの先に進む必要はない。ここで歩みを止めて、忘れられつつある「検校(小野尊俊)」の物語を心にとめてほしいと思う。
検校の妻・花子は美しいことで知られていた。ある日、松江城の城主の宴に呼ばれた検校夫妻であったが、城主は妻にひとめぼれ。横恋慕を画策して検校を無実の罪で島流しにした。そして、花子に城に来るよう誘った。しかし、花子は病気を理由に誘いを拒み続けていた。
そのころ、隠岐に流された検校は城主の理不尽さに怒りを募らせていた。その怨念はあまりに深く、いつしか不思議な力を宿すようになっていた。あるとき、隠岐の検校のもとに鷹が舞い降りた。検校は妻に手紙を送りたいと思い、その場で着ていた白装束を破り、指を切って自らの血で手紙を書いた。そして、鷹の足に結びつけて解き放った。
数日後、花子のもとに鷹が降り立った。手紙に気づいた花子は喜んだが、筆も硯もない検校の暮らしに涙して鷹に筆記用具をくくりつけた。しかし、その鷹は隠岐にたどり着けず死んでしまう。鷹の死骸を発見した検校は、すべてをあきらめ、断食をして城主を呪いながら死んでいった。
その後、城主の身のまわりでは不気味な出来事が続いた。検校の祟りであると考えた城主は神社を建てて検校を弔った。そのことを見届けるようにして花子もまた亡くなったという。
……と、わかるようでわからない物語であるが、時を超えて語り継がれるうちに何かが損なわれてしまったのかもしれない。そして、今から100年後、検校の物語や検校塚のことを知る人はどのくらいいるだろうか。逆にいえば、100年前、この場所のように忘れられつつあり、そして、実際に忘れられた物語がどれくらいあるのだろうか。