はじめまして、退蔵院副住職の松山です。
早速ですが、禅問答をご存知ですか? 正式には公案とも言います。

実際にいくつか、問答を投げかけてみましょう。いずれも臨済宗の修行の中で、老師さまが雲水に問いかけているものです。

たとえば
「両手で手を打ちました。片手で打つとどんな音がするでしょうか?」
「犬に仏のこころはありますか?」
「お釈迦様の年齢は、おいくつでしょうか?」

ここで問いをひとつ選び、ガイドを止めて答えを考えてみましょう。
おそらく、答えはいくつも浮かぶと思います。禅問答には本当は答えなんかないんじゃないか、と思う人もおられるでしょう。でも禅問答にはちゃんと正しい答えがあるんです。
さあ、始めてみましょうか。

答えは出ましたか? 答え合せは、残念ながらここではできません。それは、臨済宗の教えで「答えを口外してはならない」と決められているから。修行中も老師さまは、その答えがあっているか間違っているかしか教えてはくれません。ちなみに臨済宗では「答える」ではなく「工夫」すると表現します。

どうです? モヤモヤするでしょう? でもそれが修行。
こうした禅問答はお釈迦様とそのお弟子様の問答に始まったと伝えられています。

たとえばこんなお話があります。あるお弟子様が「お釈迦様、あの世はありますか?」と訪ねたそうです。お釈迦様は黙って口を開きません。それは、「あの世があるかどうかはわからない、だから語ることはできない」という姿勢で答えたわけです。

私たち禅宗では「行うこと」、あるいは「体験すること」をとても大切にします。食事は修行、掃除も修行、トイレをすることや考えることだって修行。座禅や禅問答は、それを端的に表したものでしかありません。なぜ「行うこと」「体験」を大切にするのか?

その説明の前に、実際にここでは皆さんにある体験をしてもらいたいと思います。

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