いかがでしたでしょうか。
姿勢と呼吸を正してひとつのことだけに意識を集中するということ自体、珍しい体験ではないでしょうか。普段みなさんが意識せずに舐めているものですが、あめ玉自体にもいろんな可能性がありますよね。こうやってあめ玉でも禅ができるんですから。
私たちは禅の修行をする際、ひとつのことだけに意識を集中します。掃除をする際も雑念を取り払い、掃除のことだけに集中。食事をする際は、食べもののことだけに。テレビを見たり話したりしながら食べるよりも、甘みや旨味を感じられるんです。「行住座臥」といって、座っても立っても、いかなる時もひとつのことに集中すれば禅の修行はできます。ですから、ここではあめ玉を舐める体験で禅の入り口に立ちました。
禅では、体験こそがすべてだと伝えています。ではなぜ、自分で体験するのが大切なのか? それは世の中にあることは自分で明らかにする必要があるからです。人から聞いたことは、自分が感じることとは違うことかもしれません。もしかしたら同じかもしれない。でも、わかりません。すべてのものごとは、自分の中を通って感じます。
たとえば、同じ山を見たとします。あるときは美しいと思い、辛いことがあると山の存在にすら気づかない時もあります。すべては自分次第。つまり自分を解決しないといけないわけです。でもそれをするには自分を知らなければいけません。だから自分で体験し、探求し、こう感じるんだ、ということと向き合う必要がある。つまりインナートリップこそがすべて。体験を通して自分を発見するプロセスが最も大切なのです。