ツルツルの瓢箪で、ヌルヌルのナマズを捕まえるにはどうしたらいいでしょうか?

退蔵院には「瓢鮎図」という国宝が伝わっています。室町時代に将軍・足利義持が如拙(じょせつ)という画僧に命じて書かせた掛け軸で、先ほど質問した「ヌルヌルのナマズを捕まえる」禅問答を表したものです。

絵と共に書かれている漢詩は問いに対する答えで、これは京都五山の禅師31名が考えました。つまり当時の京都を代表する禅宗の僧侶がどう答えたかが書かれているわけです。この問いも考えてみましょうか。一旦ガイドを止めてください。

さて、答えは出たでしょうか? 31名の禅師はどのように答えたのか、この漢詩に書かれている中からその一部をご紹介します。

「瓢箪でナマズを抑えて、ナマズの吸い物を作ればいい。だが飯がなければしょうがない。砂でもたいて飯でも作ろうか。」

「瓢箪に油を塗って、急流に泳ぐナマズを抑える。あっちから抑え、こっちから抑え、抑えきれぬと分かったところで、求める心はやむ」

「瓢箪がナマズを抑えようとしているが、実はナマズが瓢箪を抑えようとしているのだ。世界とは相対を超え、一体となった関係にある。男もナマズも同じ世界にあるではないか」

どうでしょう。ユニークで面白いものがあると思えば、うーんと唸ってしまうものもあるでしょう。さて、これは私個人の見解ですが、この問いは「論理を超えろ」とおっしゃっているのではないか、と考えています。

瓢箪でナマズを捕まえようようなんて普通は考えません。だってあまりに非現実的ですから。しかし、その論理に私たちの心を縛られています。「であるべきだ」と変に枠組みに囚われないでもいいんです。逆に囚われたっていい。枠を認識して外にも内にも自由に行き来できていることこそが大切なことなのではないでしょうか。

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