この庭の砂は黒と白の二色に分かれていますが、なぜだかわかりますか。

物事には多面性があります。片方だけではその本質は捉えることはできません。それを端的に表現したのが「陰陽」の概念。中国で生まれたこの概念は、世界はすべて、春と秋、昼と夜、男と女など、相反するがお互いに補完する二つの性質を持つと考えています。この庭の白と黒が表現しているのも二面性です。

しかし、仏教には「不二」という考え方があります。それは「いい」「悪い」などの二元論を嫌うということです。正確には分ける必要があるのかと考えます。たとえば、このご飯は「美味しい」「不味い」。あの人は「いい人」「悪い人」。でもそれは、物事をひとつの側面からしか見ていません。光があるから陰がある。お互いを分けようと思っても、分けることはできません。そもそも立場によって評価は変わります。だから、すべてひっくるめて、あるがままを受け止めさないと仏教では教えているのです。

言葉にすると簡単ですが、これがなかなか難しい。この陰陽の庭は、不二を思い出させてくれるのです。

また、庭に配された石は陰の庭に8つ、陽の庭に7つ。これもそれぞれ、陰を象徴する「8(偶数)」と、陽を象徴する「7(奇数)」に即したもの。8と7を足すと15になりますが、昔から15という数字は「完全を表す数字」だとされてきました。たとえば七五三を足すと15になりますし、十五夜もそうですよね。この陰陽の庭では15個の石を8と7に分けることで、両方の庭を見ないと15にならないように作られています。

良いところだけを見てもいけない、悪いところだけを見てもダメ。すべてをありのままに受け入れることが重要だという、仏教の教えが隠されているのです。

私たちを縛る「枠」も、一方向から眺めていては発見することすら難しいと思います。物事を多面的に捉えることの大切さをこの庭は教えてくれているのです。

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