お地蔵様の背後に生えている椎の木。じつはこの木、退蔵院の歴史にまつわるある物語が隠されています。このご紹介をしてガイドの締めくくりとしましょう。
それは、今からおよそ600年前のこと。妙心寺第3世の住持であった無因宗因師が退蔵院を開山されました。600年前といえば、南北朝時代。当時は覇権をめぐって武士同士が争い、応仁の乱などが起こる荒れた時代でした。妙心寺もまた、足利義満によって弾圧され、退蔵院も一時は断絶しそうになります。その後、16世紀半ばに亀年禅師が退蔵院を復興されましたが、当時もまた戦国時代。僧侶でさえ敵味方に区別されてしまう時代で、亀年禅師も暗殺されてしまいました。
亀年禅師はお寺の行く末を案じておられたのでしょう。生前に「私の墓を作ると寺に被害が及ぶかもしれないから、墓は作らないように。しかし、後世の人がお参りできないといけないので、私の好きな椎の木を植えておくれ」と言い残されました。この木こそ、先ほどご紹介した椎の木。境内には合計5本の木が植えられています。
知らずに見ればただの大きな木。でも、退蔵院にとってはただの木ではありません。亀年禅師のような和尚様がいらっしゃったからこそ、退蔵院は現代に残っているのです。
退蔵院の「退蔵」とは、何かをしまうときに使われますが、陰徳(つまりは世間には知られないよい行いのこと)を蔵のように積み重ね、自分の中にしまっておきなさい、という意味があるんです。みなさんも、ぜひ良き行いを人知れず自分の中に積み重ねていってください。