床の間を背に座ってほしい。 どのように感じるだろうか?

この絵を描いたのは芦雪ではない。応挙である。

応挙の代わりに無量寺を訪れた芦雪はまず、この部屋に応挙の絵を置いた。そう、応挙もまた京都でひとつの作品を描きあげて、弟子の芦雪に託していた。芦雪は師匠の絵を抱えてやってきた。そして、上座で格式高い「上間一之間」に設置したのである。

さて、床の間を背に座ってみただろうか?

そのまま、ぐるりと襖絵を見回してみてほしい。あなたは、どのように感じるだろうか。

まるで波に浮いているかのよう。そんな気持ちになるのではないだろうか。

応挙のマジックは部屋に足を踏み入れたときからはじまっている。襖絵に描かれているのは仙人であるが、全員が反時計回りに動いている。この進行方向は、あなたが部屋に入ったときに自然に流れる視線の動きと同じ。それによって仙人たちの列に加わったように感じる。なおかつ、襖絵に描かれた波は襖の枠を超えてつながっており、部屋全体がぐるっと一周、波に囲まれている。それによって自分たちも仙人たちと同じ波の上にいるような気持ちになるのである。

まるで、テレポーテーション。壁に絵を描くだけで別世界をつくりあげる空間のマジック。そして、視覚的心理効果を計算したロジック。それが芦雪の師匠、応挙の特徴でもある。

さて、芦雪の本当の仕事はここからだ。この先の部屋に何を描くか。芦雪の挑戦はここからはじまる。

こぼれ話。実は、この部屋は「将軍の御成の間」であるという。

津波に流された本堂を再建したのは1786年。同じ年に芦雪はやってきた。それから数十年が経ち、幕末にあたる1862年に、時の14代将軍「徳川家茂」がこの部屋に泊まったという。家茂は紀州の藩主であった経歴もあるため、もしかすると、かつての部下たちが馳せ参じて、「お久しゅうございます」「くるしゅうない、おもてをあげい」と、この部屋で再会を喜んだこともあったかもしれない。

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