“ニュートラルポジション”とは何か。それを知るには、この部屋の意味から話さなくてはならない。
この部屋の奥にあるのは仏間=仏様が住む世界である。その手前にあるのが室中之間=仏様を前に儀式をおこなう部屋である。つまり、ここは「仏様の世界」と「人間の世界」が隣りあっている部屋。そんな大事な空間に描かれているのが、虎と龍。それも仏間から室中之間にかけて6面に渡って描かれている。東西ともに奥から飛び出してくるように、である。
たとえば、虎の絵は仏間に描かれた岩陰から虎の前足にかけて虹のようなアーチがかかっている。龍も同じ。仏間から飛び出して、振り返りながら前足で雲を切り裂いている。両者が飛び出してくる、躍動。瞬間の止め絵を描いているというよりは、ある一定の時間、動きを描いている。これまでの部屋の絵とも違う。まるでマンガの表現であるが、当時も現在も水墨画でそのような表現はしない。もしかすると芦雪は、本州最南端の僻地であるこの地でなら、好きなように描いても師匠に見つからないだろうと、自分らしい表現にチャレンジしたのかもしれない。
さて、ここからが本題だ。
虎と龍はなぜ、飛び出してきたのか? それは、あなた、あるいは、この部屋で祈りを捧げるお坊さんのためかもしれない。想像してみよう。部屋の外から祈りの儀式のためにこの部屋に入堂してきたとする。そのとき同時に虎は飛び出し、龍は泳ぎ出す。三者が同時にこの部屋に入ってくるのである。
通常、お坊さんは畳の2枚目奥のへりに立つ。そこが“ニュートラルポジション”。そこから前に出て、礼拝をして、またニュートラルポジションに戻ってから、再び一歩前に進んで五体投地をする。そのため、ニュートラルポジションから一歩前に進んだあたりの天井に、祈る人の頭上を守るための天蓋がある。一心不乱に祈りを捧げるためにも頭を守る必要があるというわけだ。
あなたも、ニュートラルポジションに立ってみてほしい。左に虎の顔が、右に龍の顔が。顔の位置がぴったり揃っていることに気づくはず。これには、どんな意味があるのか。たとえば、お坊さんが入堂して、ニュートラルポジションに立つ。そのとき、虎と龍も姿をあらわして一列にピタッと並ぶ。その瞬間、これから祈りを捧げようとする部屋がピンと緊張して清い空間になる。そうして、祈る人を守り高めるためのしかけとして、この絵を描いたのではないか。それが芦雪のねらいなのではないか「と、ここで毎日祈りを捧げる者としては感じるわけです」と住職は言った。
「虎も龍も視界の外にあって姿は見えない。見えないんだけど、仏さんの前で手をあわせるとそこにいることを感じる。それがこの絵のほんとうの見方ではないかというふうに私は思いますね。だからこそ、ここに立ってみてほしい」と。
この虎は何に飛びかかろうとしているのか?
答えは襖の裏にある。実は虎の絵の裏には水辺で魚を狙うトラ猫が絵がれている。そう、ひとつ前の部屋で見た、あの猫だ。つまり、芦雪は魚の目から見れば、猫も虎のように迫力ある存在に見える。そんな種明かしをしているのである……という見方もある。もしそうだとすれば、芦雪の遊び心が見えてくる。
※この部屋は自由に写真を撮ってよいことになっている。ただし、ストロボは禁止。襖にもふれないようにしてほしい。それさえ守ればインスタグラムにあげるのも自由だという。