ここは私たちの仲間、妖怪画家・柳生忠平の部屋。
妖怪を生み出してきた人たちは、いろんな時代に美術の世界で注目されてきた。江戸時代に初めて妖怪の図案をまとめた鳥山石燕(とりやませきえん)や、浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)、明治時代の天才・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)、そして昭和の時代を代表する妖怪漫画家の水木しげる。柳生忠平はそんな芸術家たちの文化的な遺伝子を受け継いで、いまこの島で妖怪を生み出しているの。
この島で生まれ育った彼は、ずっと見えないものたちの気配を感じてきた。私たち妖怪に憧れてとにかく妖怪に会いたくて、子供の頃からずっと妖怪を描き続けている。迷路の街の中にも、親切に道案内してくれる妖怪を描いているわ。
妖怪を描き続けているうちに、柳生忠平の頭の中には妖怪を作り出す装置「妖怪製造装置」ができたの。妖怪製造装置というのはね、いわば妖怪を生み出す母胎のようなもの。その母胎は、目に見える現実と見えない想像世界のあいだで口を開けていて、あらゆる情報や感情、見えない気配までをも吸い込む。そして混沌と漂うそれらを栄養にしながら、母胎の中で育まれた妖怪はある日、日常の景色の中にぐにゃりと産み落とされる。名前や姿かたちを持った妖怪になるの。
彼の装置は、四六時中作動しては、小豆島にやってくる人たちの持ち込む感情やものの気配を栄養に、妖怪を創造し続けている。彼は、自分は妖怪製造装置をコントロールしてるっていうけれど、反対にコントロールされているみたい。人間の世界では妖怪画家を名乗っているけど、もはや自分が妖怪だってことに気がついていないのかしら。