みなさま。本日はお参りしてくださりありがとうございます。
妙心寺、春光院副住職の川上全龍です。
さて、このガイドでは金を再発見する旅へ誘いたいと思っているのですが、
その前に春光院について私から境内を一緒にまわりながらご説明させてください。
まず最初に紹介するのが、春光院でもっとも有名な南蛮寺の鐘。
なぜ京都の禅寺にキリスト教にまつわる鐘があるのか?実は詳しいことはわかっていません。なぜならその昔禁教令といってキリスト教を排除する定めがあり、関連する書物はすべて消されてしまったから。
それでもなぜ、この鐘が春光院に存在するのか。
それは、キリスト教が弾圧される前のこと。この鐘は織田信長の庇護のもと南蛮寺にあったとされています。しかし禁教令により南蛮寺が取り壊されてしまったため、転々としながら嘉永7年に仁和寺より春光院へと運ばれてきたと言われています。
ここで鐘に書かれている文字を見てみましょう。IHSという刻印が見えますか?これはラテン語で、イエスは人類の救世主(I(イエス)H(人類の)S(救世主))である、と書かれています。そしてこの文字のまわりのマークに目を移すと、太陽の中に十字が見えます。下には三本の釘マークがありますが、これは足に一本、両手に二本の釘を打たれたイエスの姿を表しています。1577というアラビア数字は、この鐘が造られた年代。この鐘はポルトガル製と言われていましたが、最近の研究では日本製であるという説が有力です。というのも、他のものと比べるととても厚く、重さも62kgあることから日本の鋳造技術で造られたものとされています。
この鐘の存続は、何も禁教令だけが危機ではありません。ある時、日本軍が戦争の武器に使用するためにありとあらゆる鐘を集めていたことがありました。春光院にもやってきた訳ですが、私の祖父にあたる川上龍山が酒樽に入れて竹やぶに隠し守り抜いたという話が残っています。そう考えると、今ここにこうしてあなたと巡り合うのが不思議に感じませんか。ちなみに、春光院ではキリスト教のシンボルが花鳥図の襖絵に隠されているとも言われています。のちほど、ご案内しましょう。