ここから振り返って見てほしい。道がクランク状になっていて、見通しが悪い。

地図とは少し異なるが、クランク状の道筋は昔ながらのもの。上吉田が移設された1572年は戦国時代であり、領地をめぐる争いがあちこちで起きていた。そんな時代に真っ直ぐの道ばかりだと、簡単に攻め込まれてしまう。あえて曲がりくねった道にして、見通しを悪くしたのだ。

このように、自分の町は自分で守らなければいけない時代である。上吉田の町は東西を堀に挟まれているが、それも町を守るため。この地にはもともと毎年の雪解け水によって削られた自然の谷があった。それを「掘」として使うことで、天然の要塞としたのだ。

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