食行身禄は富士講ブームの火付け役。身禄は富士山で即身成仏を果たしたが、その最期を看取った人物がいる。それが「田辺十郎右衛門」だ。

田辺はもともと富士山の八合目で水を売っていた。そのころに熱心に富士山を登る身禄を見かけていたのだろうか。のちに身禄はとある御師の家から追い出されてしまうのだが、そのときに行き場のない身禄を受け入れたのが田辺であった。

その後、身禄が即身成仏を決意したときには、田辺十郎右衛門が付き添いを果たした。それだけではない。身禄が絶食によって死ぬまでの31日間、彼の教えを書き取って書物にまとめた。そして、田辺自身も御師となり、身禄の教えを広めていった。

ここは、そんな田辺家の敷地である。御師の家としての建物は残っていないが、身禄を祀った身禄堂は今に残されている。

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