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睡起試茶(巻八)
宿酒纔消睡起時。西窓偏覺夕陽遅。兎道新茶初到手。汲泉先自試槍旗。
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訳:二日酔いが漸くおさまって起きる時。西側の窓を見て日暮れ前ということに気づいた。宇治の新茶がやっと手に入った。泉水を汲んで、まず私が槍旗を試そう。
海に面した砂浜には、まず茶室がつくられ、その後代々の藩主によって池や周りの景観が整えられていったという。
黒松に囲まれた小道を進むと、飛び石の先に茅葺き屋根のその茶室が現れる。
手前は母屋、奥にある高床式の観潮楼は日本最古の煎茶室と言われている。
一般的に「茶室」として広く知られるのは、抹茶席だ。閉鎖的な空間に入り、釜で水を炊く。武士たちは湯が滾る音を感じながら抹茶を立て、時には密談を交わす。
一方の煎茶席は、そんな武士たちの形式を重んじる茶道を堅苦しく感じる人々の間に流行した。文人たちが自然の美や歌詠みを楽しむ、開放的な場。
中津万象園を作った丸亀京極家は、天皇の子孫にあたり文人の家系だった。文人らしく、煎茶室で芸術を嗜むことをくつろぎとしていたのであろう。
万窓は大きく開かれ、自然の音や匂い、光に包まれている。
軒先に腰掛けて、しばし静寂を味わってみてほしい。
ちなみにこの茶室、ときには一般の庶民にも開かれていたらしい。
「中津のお茶屋はお殿様の散歩の場所である。往来の途中で静かに拝見するのはかまわないが、弁当などを持参したり、三味線などを持ち込み騒いだりということは慎むように」と領民におふれが出た記録が残っている。
大名庭園に庶民が入れるなど、他では聞くことがない。京極家は庶民におおらかな、人間味溢れる家だったのかもしれない。