美味しいお米といえば「魚沼産こしひかり」。日本人なら誰もが知っている。

しかし、魚沼産の中でも「南魚沼産」。南魚沼産の中でも「こっち側」。地元では、そう囁かれていることを知っているだろうか。その「南魚沼産のこっち側のこしひかり」は、なかなか世に出まわるものではない。限られた量しか収穫できないそのお米は地元の人たちがぜんぶ食べてしまうからだ。

あなたも、そんな秘密のこしひかりを食べてみたくはないだろうか。

そう、欅苑では「南魚沼産のこっち側のこしひかり」を食べることができる。それも、新潟の郷土料理である「のっぺ汁」とともに。のっぺ汁とはかつての大地主が小作人たちに振る舞ったといわれるご馳走料理。その美味しさが忘れられない小作人たちは、それぞれの家庭に持ち帰って真似をした。そうして新潟中に広まっていったと考えられている。

欅苑を訪れるとまず屋敷の立派さに驚くはずだ。かつて大地主であったことが伺える茅葺きの大屋敷。背後には樹齢1,500年の大欅がそびえ立っている。まわりは田んぼに囲まれ、時期によってカエルの鳴き声やホタルの光に包まれることだろう。

欅苑で味わう「ごはんとのっぺ汁」。その体験はまさに当時の追体験なのかもしれない。


※「あっち側」と「こっち側」については南魚沼でも諸説あります。一般的には魚野川の右岸と左岸では「左岸のほうが美味しい」とされていますが、魚野川沿いに広がる南魚沼市は南北30㎞超もあり、場所により土質も違うため一概には言えません。
また、欅苑の解説に登場する「あっち側」と「こっち側」は、南魚沼でも五日町から長森集落にかけての狭い範囲の「あっち側」と「こっち側」のことであり、その違いは大規模基盤整備の有無と時期が主題になっています。
このように地元の人々は、かなり詳細な地域、場合によっては田んぼまで限定して「どの辺りのお米が美味しい」というお米論を持っています。


※完全予約制
住所:南魚沼市長森24
電話:025-775-2419
予算:5,000円(税別)〜
URL:http://www.keyakien.com/eigyou.html

なぜ、「南魚沼産のこっち側のこしひかり」は美味しいのか?
──欅苑・南雲さんのインタビューに続く↓


──どうして、人はこんな豪雪地帯に住み続けて来たのでしょうか?

雪国育ちですので、雪は当たり前のこととして捉えています。「雪地獄」とも言いますが、いくら雪に苦しめられる土地であっても、先祖代々の土地だから大事に守っていかなければ。ここに住み続けることが、ここに産まれた者の生き方だと思うんですけども……でも、やっぱり春はいいものですね(笑)

──春のほうがよいですか(笑)

ええ、やっぱり春がいいですね(笑)。これから春になると「これが咲いた、これが散った、でもこれが咲いた」って、花に追いかけられるような生活が続きます。この家は何かと「重たい家」ですけれども、自然の中に住めるということは、やっぱり幸せなことなんじゃないかと思います。

──南雲さんにとって「A級グルメ」とは?

地元の旬のものを使うことが、ここらしい料理になる気がいたします。春は山菜が中心ですけども、山菜は自然の中から産まれるものですし、野菜も自分の畑のものだから農薬も使っていませんし、安心して食べられる。そういう自然のもの、旬のものというのが身体に一番いいんじゃないかなと思います。そういうものをお客様に召し上がっていただきたいと考えております。

──欅苑の「ごはん」はどのあたりがA級なのですか?

うちは自分の田んぼで作ったお米をお出ししています。ちょうど、この家の裏側に田んぼがあるのですが、この辺では裏にある田んぼが「昔からの田んぼ」と言われているものなんです。逆に、家の前=表にあるのは「新しい田んぼ」。両方の田んぼを持っている者たちは「裏の田んぼのほうが美味しい」と言って、自分たちで食べるぶんにします。そして、表の田んぼで採れたお米は農協に出してしまうと言います。ようするに、表の田んぼは新田開発をして新しく田んぼにした場所なんです。でも、裏の田んぼは、もっとずっと昔から田んぼであった場所。田んぼに適した水が湧いていたり、日当たりの具合がちょうどよかったり、そういう自然条件が揃っていたところが古くから田んぼに選ばれてきたはずですから、やっぱりそういう田んぼのお米のほうが美味しいみたいです。

──そういえば、とあるタクシーの運転手さんから「魚沼産の中でも南魚沼産、南魚沼産の中でも特に美味しい地域がある」という話を聞きました。そして、それは「ぼくたちが買えるものではない」と。

ええ、そういうのをみなさん仰いますでしょ。「やっぱりこちらの方が」というのは昔からの田んぼの方を指しているんじゃないかと思います。うちは裏の田んぼしかないものですから味を比べることはできませんが、きっと「うまみ」が違うんでしょうね。裏の田んぼではそんなにいっぱい作れないので、お客様にお出しするのと、家族が食べるのと、たくさん採れたときは親戚に配ったり、その程度ですね。

──お米の炊きかたも普通と違うのですか?

特別なことはしていませんが、ガス釜で炊いています。近所のお母さん方も裏の田んぼを持っていますけれども「やっぱりガスで炊いたごはんの方が美味しい」と言いますね。あとは、お水も違いますでしょうか。この辺は「雷電様の湧き水」が簡易水道で通っています。みなさまが美味しいと言って、わざわざ汲みに行くような水が蛇口から出てくる。それは贅沢なことだとありがたく思いますね。水というのは料理を作るにしても、いちばん大事なものじゃないかと思います。

──のっぺ汁についてはどうですか?

新潟県の郷土料理で、わりとお正月なんかに食べるものなんですけれども。それぞれの地方によって具材や切り方は少しずつ変わります。新潟市のほうにいきますと、鮭が入ったり、イクラが入ったり、もっと豪華になります。この辺では、もっと大きくてごろごろした野菜をどんどん煮て、大きな器にどかんとよそうようなものが多いです。みなさんが「ウチののっぺ」という感じで作るものですから、どなたに聞いてもちょっとずつ味も変わってまいります。

──「のっぺ」の由来は「ぬっぺい」。里芋などの「とろみ」を表しているという説があるようですが、ほかに「のっぺたる条件」というのはありますか?

のっぺというのは出汁をホタテの貝柱でとるというのが基本です。ホタテだけでは味が足りませんので、普通のお出汁も足しますが、ホタテを入れないと「のっぺ」とは言えないような感じです。あとは、どうでしょうね。里芋や蓮根、人参のような根菜類を中心に、ウチはきのこ類を入れて「山ののっぺ」にしています。

──南雲さんは六日町からこの家に嫁がれてこられたそうですが、当時はまだ料理屋さんじゃなかったんですよね。

はじめは普通に住んでいました。そのころ、私どもは奥の部屋で生活をしていて、現在お客様をお通ししている部屋はふだん使わない部屋でした。昔は冠婚葬祭を自分の家でやりましたけれども、そういうときだけお掃除をして特別に使っていたんですね。

──それがあるとき突然、料理屋に?

普通に住むには、お金のかかりすぎる家なんです。屋根は毎年修復しないといけませんし……職人が入りまして、苔の生えた茅を落として新しい茅を差し込んでいくのですが、これが今でも一番の出費なんです。私どもの父は医者をやっていたので稼いでくれていました。だから、父の代まではなんとか持ちこたえてくれましたけれども。さて次の代、私どもの代になりますと、どうしたら、と考えたときに……これは自慢になるかもしれませんが、壊すにはもったいない家だと思うんです。私も嫁ではありますけれども、この家がとっても好きなんですね。今ではもう作れない家ですし。不自由な面もありますけれども、やっぱり大事にしなきゃいけないと思います。それにはこの家を活かして、この家から生み出していかないと維持できない。ということで、料理屋をやってみようかと。

──明日から料理屋をやろうと思っても、なかなかできないことですよね?

お料理教室の先生にご相談をしますと「やってみることですよ」って仰るんですね。どうしたら良いかなんてあまり考えていたってしょうがない。やりながら考えればいいから「やってしまえ」という感じではじめた店ですね。オープン当初がバブル期のちょっと前で、ちょうど店に慣れてきたころにバブルがはじまって。10年ぐらいは、ものすごく忙しくさせてただきましたけれども。その時代に戻りたいかといえば、そんなこともありません。私も若かったからそれができたけど、もうできない。今はそういうわさわさしたものではなく、少ないお客様に静かな良い時間を過ごしていただきたいと思っています。

──南雲さんと一緒に欅苑も歳を重ねているのですね。

欅の木はご覧になりましたか? 心配なことはいろいろある訳ですけれども、部屋から欅を眺めていますと「どんなことでもなんとかなる」というような気持ちにさせてくれる。樹齢は1,500年と言われておりますけれども、それこそ主人が子どものころから同じ大きさで、もう500年ぐらいあの木は何も変わっていないと思うんです。そういう木にこの家も守られて、私どもも守られているんだなという気持ちで見ています。先祖は500年ぐらい前から住みついたと言いますので、それこそ先祖代々を守ってくれた欅なんじゃないかと。それで「欅苑」という名前なんです。

──この家もほんとうに立派ですが、明治3年に建てられたということですので築150年ですか。

先祖はよく作ったものよと。昔の家というのは端から端まで一本の梁で通っているんだそうです。途中で継いだ木では屋根を支えきれませんから、家を造るときにどれだけの長さの木を何本集められるかによって、家の大きさが決まったものだと大工さんに教えてもらいました。それにしても、これだけ太い木をどうやって見つけて、どうやって造り上げたのかと思いますね。

──明治3年より昔は、前の家が建っていたわけですよね。

これが、どうも大きくしたわけじゃないみたいなんです。前の家は、籠通しがあったとか、もっと玄関がしっかりとしていたとかで、むしろ明治になって家を小さくしたと聞いています。もしかすると梁や柱になっている木は明治より昔のもの。前の家を活かしている材がいっぱいあると思います。

──150年前どころか、200年、300年前の木材かもしれないということですね。今やこのあたりでも茅葺きの家はほとんど見られません。残したいと思っても残せなかった人がほとんどということですよね。

やせ我慢ですよね(笑)。いつまで続けられるかと思いますけれども、できるうちはなんとか。

──この家に負けない料理を作るというのは大変ですね。

負けないというより、うちらしい料理をお出ししたいなと思っています。ごはんやのっぺ汁もそうですが、うちのお魚はそこの囲炉裏で焼いてお出ししています。お客様にはお食事の時間を個室で召し上がっていただくんですが、こういう古い家でのんびりとしたお気持ちで、ゆったりと召し上がっていただきたい。ぜひ150年前にタイムスリップして一時を過ごしていただきたいと思っています。

人はなぜ、 これほどの豪雪地帯に 住み続けてきたのか?


それは、日本一と言われる「魚沼産こしひかり」の中でも、とりわけ美味しいお米が育つ土地があったからかもしれない。

雪国A級グルメの背景を知る旅。「南魚沼産のこっち側のこしひかり」を食べたあとは、「雷電様の湧き水」を汲みに行ってはどうだろう。遥か昔からこの土地のお米を育んできた湧き水であり、欅苑の「ごはん」の半分はこの水でできているといっても過言ではないはずだ。

ちなみに、「料理の音ではありませんけれども」と、南雲さんが教えてくれた土地の音は、「夏、ひぐらしの鳴く音」だった。

ひぐらしとは蝉の一種。「日を暮れさせるもの」を思わせる名前の通り、夕方になると「カナカナカナ」と鳴く。しかし、夕方だけではなく、明け方にも鳴く。同じような日の暗さからくる衝動なのだろう。南雲さんは「カナカナカナ」と鳴くその音を「夢うつつ」の中で聴く。そんなとき、自然の中に住んでいる幸せを感じるという。

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