4月、里山十帖の川の音は大きくなる。山の雪どけ水が川に流れこむからだ。

「すごい流れですよね。今朝も山に行ってきたんですけど、川の水の量がぜんぜん違う。きょうは天気が良いので雪どけがすごく進んでいて。これだけの水が山に蓄えられているということが、すごいな、と思って」

そして、桑木野さんはこう付け加えた。

「里山十帖の料理としては水かな、と思っているので」

越後湯沢駅から車で20分。この先に進んでいいのかと不安に思うような道の行き止まりに里山十帖はある。背後には壮大な山が広がり、森林に蓄えられた水が豊かな山菜を育んでいる。

「ほら、あそこ。3年前に山から採ってきたのを投げておいたら、こんなに育ったんです」

里山十帖の玄関を出てすぐ。川の水が流れこむ踊り場で「せり」の葉っぱが揺れていた。桑木野さんはその場で一枚の葉を摘み取って口ではむ。思わず真似をしたくなって、ぼくもはむ。地味だけど、滋味。まさにその通りだ。

「きょう使っている山菜のお出汁からどうぞ」

ぼくたちが泊まった日、里山十帖の夕食はこの一言からはじまった。あぁ、物語がこれから始まるんだ。そんな予感は、まるで雪国の長い歴史を旅したかのような余韻に変わるのであった。


※レストラン営業あり(事前予約)
住所:南魚沼市大沢1209-6
電話:025-783-6777
URL:http://www.satoyama-jujo.com/stay/access.php

──「生態を知れ」「心眼で見ろ」山菜を採るための教えとは?
里山十帖・桑木野さんのインタビューに続く↓

──桑木野さんにとって「A級グルメ」とは?

みなさんが想像する「郷土料理」って、意外と戦後の料理だったりするかもしれません。最近ではB級グルメも郷土料理のカテゴリーになっていますが、ほんとうの郷土料理ってなんだろうと考えたときに、もう作れる人が90歳のおばあちゃんとかで。そういうのは守っていかなきゃなって。このあたりだと縄文時代からの歴史があるので、そこからつながっているような文化がA級グルメなのかなと思いますね。

──里山十帖の山菜は、ほかのところの山菜と何が違うのでしょうか。

雪なんじゃないかな。水であり、雪。このあいだ、関西で山菜を食べたんですけど、味がぜんぜん違っていて。雪の温度なのか、保湿によるものなのか。わからないんですけど、雪があるところの山菜と、雪がないところの山菜では、あきらかに味が違う。ここだけでみても雪が少ない年は「えぐみ」と「にがみ」がいきなり増える。ウドとか、土からの山菜はとくに。

──正直なところ、ここに来るまで山菜は苦手なほうでした。

同じ山菜でも、ほかのところで食べると苦いんですよ。ここの山菜は、もちろん苦みもあるんですけど、苦いだけじゃない味がある。甘みがあったり、香りが強かったり。辛みや酸味のある山菜もあるんですけど。そういう味がちゃんと感じられる。ひとつの山菜に「五味」ぐらい入っていたりとか。

──五味、ですか。ふつうは「二味」ぐらいなのに。

その違いが味の深みなのかもしれないですね。だから調理するときは、なるべく殺さないように。ひとつの山菜でも部位によって調理をわけています。でも、山菜には旬があるので、同じ料理を何度も出せないんですよね。試行錯誤した料理はたくさんあるんですけど、この一品は素材となる山菜を見てスッと考えたというか、なんて言うのかな、きょうしか出せない料理なんです。

──いろいろな実験を毎日できるわけじゃない、と。

私にとっては今年が6回目の春なんですけど、それぞれの山菜には旬が10日ぐらいしかないんです。

──そんなに短いんですか。

きょうは朝からスタッフと「こんなにいい天気になっちゃったので、つくしはきょう採らないと」って話していたところでした。竹みたいな節が出てしまうともうおいしくないので、明日にはつくしの旬は終わってしまう。それに、たぶん料理をする方だとわかると思うんですけど、去年は「つくしのレシピはこれで決まり、来年もこれで行こう」みたいに思ったとしても、今年のつくしを実際に採ってみると「去年と同じ料理ではつまらないな」って思うことがあって。結局、また違うものを作ろうと思うんですね。

──桑木野さんはインドやオーストラリアで暮らした経験もあるとのことですが、世界の山菜も見て来られたんですか?

去年、休みをもらってマレーシアに行ってきたんですけど、そこのレストランは里山十帖と同じような環境のジャングルの中にあって。そこで採っていたハーブが里山十帖にもあったんです。去年まで気づかったのに「あっ!」と思って食べてみると味も同じ。調べてみると同じ系統の野草でした。やっぱりアジア圏は分布が似ている。だから山菜は「和のハーブ」なのかなって思っていますね。

──どこの国でも山菜を食べるものなのでしょうか。

昔からハーブとか山菜みたいなものは各地の食文化に根ざしています。ただ、私たちは今も山菜を採って食べていますけど、九州とか美味しい野菜がたくさん採れる土地の人たちはわざわざ山菜を食べなくてもいいかもしれない。だから、海外にも山菜はあるんですけど、あんまり食べなくなってきています。「昔は食べていたけど今は食べる人いないよ」みたいな。

──でも、あるところでは注目されだしたり。

されていますね。料理人はユニークな素材を求めて、おもしろい野菜を海外から取り寄せたりしてるけれど、もしかすると行き過ぎてしまったのかも。今、山菜が注目されているのも「原点に戻りたい」と感じているからかもしれません。

──昔に戻ると言えど、その原点が縄文時代にまで遡るのは日本独特なのですか?

そうだと思います。世界は私もそんなにわからないですけど、日本はユニークだと思いますね。私たちは5,000年前に食べていたもの、たとえば「栃の実」なんかを今も食べているんです。でも、海外の人からすれば、そういったものが現代の食卓にのぼること自体がめずらしいと言われます。

──栃の実なんてもう生えていないということですか?

生えていないってことはないと思うんですけど、栃の実をいまだに料理して出しているところ、あるいは、縄文時代からこの場所に人が住んでいて、その植生ごと守られているところ。その両方にリスペクトがあるのかもしれません。

──縄文時代から栃餅を食べていたのでしょうか?

もっと美味しくない状態で食べていたと思います。具体的にはわからないんですけど、カッチカチのおせんべいみたいに焼いていたのかな。灰は出ているので何かしら火を入れていたみたいです。なんかね、すごいことをやっていて面白いなと思ったんですけど、縄文土器についている灰を分析して、今度は自分たちで灰を作るんですって。栃だったり米だったりを煮た灰を。で、成分が一致するかを延々と調べていく。そんな気が遠くなる検証を続けている段階だそうです。

──この場所に5,000年前から人が住み続けているというのも、すごい話ですね。

歴史的にも特殊なのかもしれません。日本は他国に侵略されなかったから、日本に昔からいる原住民の料理と直接つながることができる。ヨーロッパはひとつのところに同じ民族が住み続けることが歴史的にも難しかっただろうから。日本では、貝塚のようなところから「クルミの殻」が出てきたそうです。あまりにたくさん出てくるので、野生のクルミではなくあきらかに栽培していた。縄文時代の食文化の高さがわかるんです。縄文ってもはや日本国以前ですが、何かその原住民的なところまで遡れるのが雪国のおもしろさ。ましてや、その食文化の一端を今でも味わえるところに外国の方は感動してくれるみたいですね。

──そういう縄文時代からの文脈を料理でお客さんに伝えたいときはどんな表現をしますか。

なるべくその風景が分かるように出したいなとは思いますね。栃の実を敷いた上に栃餅を置いて、まわりに栃の葉っぱを添えたり。料理と一緒に情景が浮かぶような、植生がわかるようなものにしたい。栃の葉っぱが採れるのは葉っぱがある時期だけですが、里山十帖のような環境なら葉っぱもすぐに摘んでこられる。ここにいるからこそ、できることだと思うんです。

──北越雪譜を読み進めている途中なんですが、どうしてこんな豪雪地帯に人は住み続けてきたのか不思議に思うんです。

この冬、猟師さんと一緒に山に入ったんです。そのとき感じたのは「雪があるから足跡がある」ということ。「縄文の人もそうだったのかな」って、ふと思ったんですよ。で、足跡を辿って落とし穴のような罠を仕掛ける話を聞いたときに「すごく雪を活かしているな」と思ったんです。「雪室」もそう。雪室は冬の冷蔵庫みたいなものですけど、「昔の人が食料を保存できたのは雪のおかげだったのかな」と気づいたり。こんな豪雪地帯、住みたいかといえば住みやすくはないですけど、昔は生きることがすべてだったと思うので、猟をしたり、作物を蓄えたり、生きるという意味ではもしかしたら生きやすい場所だったのかなって想像します。

──ところで、山菜採りの師匠とはどういう出会いだったんですか。

話してみたら、とても懐の深い方で「じゃあ、着いてこい」と言ってくださって。いきなりすごい山の中に連れていかれたんですが、必死に着いていきました。それから毎日のように通っていたら「ちゃんとやる気があるんだな」と思ってもらえたのか、今も可愛がってもらっています。昨日も「落ちたら死ぬな」っていう崖っぷちを連れていかれて。命がけで山菜を採ってきました(笑)

──五年習ってもまだまだ底が知れないですか?

ぜんぜんですね。山菜は本当に奥が深いです。「生態を知れ」って師匠にいつも言われるんです。山菜って、春の新芽を食べるものだと思うんですけど、夏になると成長してまったく違う木になる。そこから花が咲いて実になってというところまで追いかけていくと料理もまた変わってくる。あぁ、この花も使えるかな、とか。

──なるほど。新芽以外も見ろ、ってことですか。

そうですね。どこに生えていて、どんなところで育つのか。「心眼で見ろ」とも言われました。

──心眼。なるほど。目じゃないんですね。

「お前は目で見ようとしているから見つからないんだ」と言われたことがあって。「心眼で見ろ」って、最初は意味がわかるようでわからなかったんですけど、生態を把握すると見えてくる。師匠と一緒に山菜を採りにいくと、いきなりキーって車を停めて「あった!」って言うんです。でも、見えるわけがないんですよ。山菜は土の中に埋まってたりするので。車の中からは見えないはずなのに、山菜があることがわかる。私はまだまだですが、少しずつ見えてきたところもあります。山菜がありそうな空気というのがなんとなくあるんですよね。

──その感覚はすごい財産になりますね。

師匠はもう本当にすごいですよ。生きる力というか。

──そういうのは受け継いでいかなきゃ、って思いますよね。

そうですね。それこそ永久に残したい。A級グルメだと思いますね。

人はなぜ、 これほどの豪雪地帯に 住み続けてきたのか?


それは、雪があるから足跡がある。雪国は生きるという意味では生きやすい場所だったからかもしれない。

A級グルメの背景を知る旅。山菜の季節に里山十帖に来たならば訪れてほしい場所がある。桑木野さんはインタビューの終わりにこんな話を聞かせてくれた。

「名前? あるのかな。私たちは“祠”って呼んでますけど」

検索しても出てこない。それも5月にしか訪れることのできない祠があるという。冬は大雪で道が閉ざされているし、夏は夏で藪に覆われてしまう。そのため、雪が消えて地面があらわになる、わずかな期間にしか訪れることができないのだ。

「昔は八海山で山籠りをする修行僧がいたからか、この山の中にも祠があって。私たちは山菜を採る前に必ず挨拶をするようにしているんです」

桑木野さんは、この山で遊んで育ったような地元の方に祠の存在を教えてもらったという。

「大沢地区の人たちは毎年お参りに行くんですよ。けっこう大変な山道なんですけど、地元のおじいちゃん、おばあちゃんが山を登るんです。私たちは慣れているので30分くらいで行けるんですけど、お年寄りの足だと1時間以上かかると思います。それでも、いまだにみんなでお参りするんです。敬っているんでしょうね。この山に対して。」

果たして、どんな祠なのか。PINで示している場所は、祠に通ずる道の入口にすぎない。詳しい行き方はスタッフに尋ねてみてほしい。残念ながら時期を逃してしまった方のために、ぼくたちが訪れた日のスナップをここに残しておく。

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