わが国の初雪の前触れは、暖かな国とは異なっている。九月の半ばに霜が降ると寒気は次第に激しくなる。九月末になれば、肌を切り裂くような冷たい風が吹いて冬枯れの木の葉を落とし、空の色はくすみ日の光が見えない日が何日も続く。これが雪の前触れである。天気の朦朧とした日が続くと、高い山は白く染まり雪を見せる。これをこの地方の言葉で嶽廻りという。また、海のあるところでは海鳴りが、山深いところでは山鳴りが雷のようにとどろく。これを胴鳴りと呼ぶ。これを見聞きすると、雪が遠からず降ることわかる。その年の寒暖により日にちはまちまちだが、嶽廻・胴鳴は秋の彼岸前後に起きるというのは、毎年そうは変わらない。
このような初雪の前触れを察すると、雪によって潰されないよう家を修繕する。庭木の枝は曲げたほうがよいところはそのようにして縛りつけ、杉の丸太または竹を添えて杖として、強くしておく。これは雪により折れるのを防ぐためだ。井戸には小屋をかけ、便所も雪が降っても汲み取りやすいよう備える。雪の間は野菜も手に入らないので、家族の人数に応じて食料を蓄えておく。土の中に埋めるか、またはわらに包んで桶に入れ、凍らないようにしておくのだ。そのほかにも雪の用意にはさまざまな作業があるが、とても語り尽くせない。
温暖な国の人が雪を褒め称えるのは前に話した通りだ。江戸では雪の降らない年もあるので、初雪はことさらもてはやされる。雪見の船に芸妓を連れ出し、雪の茶の湯にはお客を招く。遊郭では雪が客を引き留めると喜び、飲み屋は雪を客が訪れる兆しとして喜ぶ。雪によるさまざまな遊びは数えればきりがない。これだけ楽しめるのは、江戸が栄えているからに違いない。雪国の人で、そんな様子を見聞きして、うらやましがらない者はいない。我が国の初雪を江戸と比べれば、楽しみと苦しみとの雲泥の差である。
そもそも越後の国は北方に位置し、陰陽で言えば「陰」の土地だが、一つの国のうちで見ると陰と陽が南北で逆転している。普通なら北西が陰、南東が陽だ。しかし越後の場合は、北西は海に面する陽気な土地であり、南東は高い山々が連なる陰気な土地なのだ。よって北西の村は雪が浅く、南東の村は雪が深い。私が住む魚沼郡は南東の陰に位置する土地だ。巻機山、苗場山、八海山、牛が嶽、金城山、駒が嶽、兎が嶽、浅草山などの高山をはじめ、よその国の人たちは知らないような山々が波のように南東に連なり、大小の河も縦横に流れる。そんな陰の気が充満する、雲の厚い山間の村であると言えば、その雪の深さが想像できるだろう。冬には日も傾き、北国はますます寒い。これは、家の中でも北は寒く、南は暖かいのと同じことだ。
その年の気候によって前後するが、我が国の初雪はおおよそ九月末か十月のはじめに降る。我が国の雪は、ガチョウの羽のように、ふんわりとまとまったものではない。降るときは必ず粉雪だ。風がいっそう雪をさらさらとした粉にする。そんなわけで一昼夜に積雪が2メートルから3メートルに達することもある。昔から今に至るまで、このような雪が降らなかったことはない。そのため暖かい国の人のように、初雪を見て歌を詠んだり宴会をしたりする楽しみは夢にも知らない。今年もまた雪の中に閉じ込められると悲しむのは、辺境の寒い国に生まれた不幸と言えるだろう。雪を見て楽しめるほど、華やかで暖かな土地に生まれた人の幸せが羨ましいものだ。