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移梅得陽韻(巻四)
 
小園纔三畝。移植數株芳。
只願蝶通使。豈容蜂採糧。
枝横映階砌。梢聳出垣墻。
漏泄春消息。窓風陣々香。
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訳:春を待ちわびて、小さな庭に梅を数株植えた。蝶がきてくれるといい。蜂もきてくれるといい。枝の影が階段に映り、梢は垣からはみ出している。春の気配がかすかにする。風が香りを運んできた。



松林に迎え入れられると、鳥の声や、季節の虫の鳴き声が聴こえてくる。
大名庭園は江戸時代、大名たちの静養、遊興や社交の場として、また武芸の修行の場としてつくられた。選び抜かれた植物、趣向を凝らした茶室や楼。そこは主(あるじ)の教養やセンス、世界観が如実に現れた場所ともいえる。

中津万象園は同時代に建てられた大名庭園の中でも小さい庭だ。専門家には「ヒューマンスケール」と称するものもいる。客人をもてなし、権威を示すための庭というよりは、身内が集まり、くつろぐ癒しの場だったのではないかという説もある。
松林を抜けると空間が開ける。ここでもち投げをしたり、茶会をしたり、酒を飲んだり。小舟で池に漕ぎ出して、橋にかかる中秋の名月を愛でることもあったにちがいない。庭先に広がる浜で建て網漁を行ったあとに、庭で一息ついていた記録もある。歌にあるように、蝶や蜂の姿を探す人々の姿もあったことだろう。
理想郷としての一面もある。奥へと進むと「ここをくぐれば不老長寿」と記された関所が現れる。江戸時代に建てられた多くの大名庭園の多くは、修行や薬を通じて仙人、つまり不老不死の存在に近づけるという古代中国の思想を表現していた。この先には仙人が住むとされる「蓬莱山(ほうらいさん)」に見立てた島があり、不老不死の薬効があるという樹々が植えられている。樹齢600年になる大傘松も長寿の象徴。伝説やモチーフにあやかることで不老不死を手にしたいという人類の見果てぬ夢も込められている。

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