縁起を担ぎ、繁栄を支えた交易船。

総合展示室の中でひときわ目立つのが、大きな船の模型。これは進貢船。中国皇帝への贈り物を乗せて2年に1度、那覇の港と中国の福建省の間を行き来していた交易船だ。実際の船の長さはおよそ30メートル。この模型の約10倍程で、一度に100人程度乗せていたと言われる。

ところで進貢船の帆のあたりから、不思議な旗が垂れ下がっているのに気がついただろうか? 黄色い体にたくさんの赤い足がひらひらとついている、これはムカデ旗。航海の安全を祈った魔除け的な旗だ。なぜムカデなのかについては諸説あるが、一説には海で嵐を起こす龍神の耳の中にムカデが入ってしまい、あまりの痛さに転げ回った龍神が、以来、人間界に降りてくるのをやめたという沖縄の民話に由来するとされている。

他にも船を導く北斗七星や八咫烏、素早く進むはやぶさの目、商売繁盛を象徴する三国志の武将も描かれている。その背景には、初期の進貢船が中国からの中古船だったことも関係しているだろう。とにかく縁起物がてんこ盛りの船である。

しかしどんなに縁起を担いでも足りないくらい中国への船旅は危険を伴っていた。中国皇帝に王権を認めてもらう冊封体制を長い間続けていた琉球王国は、航海の危険を伴いながらも、アジアの中で一番多く中国に通った。進貢船が運んだ貢ぎ物には、琉球特産の馬や硫黄、貝の他に、日本や東南アジアを産地とする品物も含まれていた。琉球王国は、各地からの商人たちが行き交う中継地点として賑わい、交易を基盤として富を築いたのだ。

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