園路を先に進むと二手に分かれている。右手は奥に続いており左手は竹の結界で塞がれている。ここはあえて左手に進もう。結界の手前がふたつ目の視点場だ。
数歩歩いただけで、伽藍石から見た借景の景色とはまったく印象が異なることに注目してほしい。ここから庭の奥を見ると、先ほどは見えなかった池が目の前に広がっている。秋になると奥の滝に紅葉がかかる。この紅葉も意図して配置された「役木」だという。
役木とは庭の趣を出すために配置される木のこと。この滝の前の紅葉の場合は、奥行きを表現するための役木。日本には伝統的に、重要なものをあえて部分的に隠して奥行きをもたせ、それの持つ意味を強調することがある。
たとえば石灯籠も庭園の重要な要素。したがって丸見えの状態で据えるのではなく、部分的に木の枝がかかるよう植えたりする。これは「灯障り(ひざわり)」という。
先に述べた紅葉も、奥にある滝を丸見えにせず、奥行きを表現するための「飛泉障り(ひせんさわり)」。庭にはこうした名脇役がそこかしこに配置され、私たちの視線を知らず知らずのうちに誘導しているのである。
この紅葉の枝、自然とこうなっているように見えるが、実はこれも庭師の手で滝にかかるように導かれているのだ。
紅葉は日陰を避けて日向に向かって枝を伸ばす性質が強い。滝の前に枝を差し掛けるためには、太陽の光が注いでくる南側に高木の常緑樹を植えて影をつくり、その北側に紅葉を植えると自然と滝側に枝を伸ばす。望ましいところに伸びてきた枝を大切にはぐくんで、今の景色を成り立たせているのだ。
見ているだけでは、その息の長い手入れには気が付かない自然な出来栄え。これも「無作為の作意」だろう。