あきらかに人工的な石の囲いが見える。中央をよく見ると、木の根のようなものがあるが、これはなんだろう? 実は明治天皇から有朋がいただいた松の名残り。
無鄰菴ができたときに、山縣有朋は明治天皇からお祝いの若い松を2本いただいた。幸運にも両方とも根付いたので、その写真を明治天皇にお送りすると、和歌が送られてきたという。それに大変喜んだ有朋は「御賜稚松乃記(おんしちしょうのき)」として石碑を建てた。
数歩進んだところにこの石碑があり、ここに有朋の作庭意図が読み取れることばが書き込まれている。これが現在まで続く庭園のはぐくみの基礎となっている。この石碑は、景色をはぐくむ庭園管理において最も重要なカギなのだ。
ちなみに、かつての松は枯れ、現在は片方の玉垣の中に3代目の黒松が植えられている。