苔:苔によっては面白くないから、私は断じて芝を栽る

足元に目を落としてみよう。そこには苔のカーペットが広がっている。
よく見ると、トゲトゲしたシャープなもの、ふんわりとした触感のもの、色合いも濃い緑や黄緑などさまざま。実はここに自生している苔は50種類を超える。研究者など見る人が見れば「う~む」と唸ってしまうほどバラエティに富んでいるようで、植物学者が研究に来たこともある。

苔に関して、有朋はこのような言葉を残している。
「苔によっては面白くないから、私は断じて芝を栽る」。つまり「苔ではなく、芝を庭の主軸におきたい」と話したわけだ。京都は盆地にあり、湿潤な土地なので苔が生えやすい。京都の庭の美は苔によって彩られると長らく考えられてきたが、有朋は「違う」と申し立てた。だから、造園直後の庭には苔が少なく芝を多くした。これが3つ目の名勝指定理由「明るい芝生の空間」だ。

広々とした芝の景色は、寺社仏閣の庭園や茶庭とは趣が異なることが感じ取れるだろう。先ほどのモミの木の事例にも見て取れるように、芝そのものを景色の主軸と置くことは、当時大変新しく、明確な作庭意図とともに、有朋の明治らしい新しい庭園観に基づいた空間構成といえる。

しかし、自然の営みには逆らいきれない。苔もまた増えていった。有朋も次第に優勢になる苔を見て「苔の青みたる中に名もしらぬ草の花の咲出たるもめつらし(ここの読みは「めつらし」と書いて「めづらし」と読む)」つまり「苔の青に名もなき野草が咲く姿が愛おしい」と、苔の良さも認めている。

御賜稚松乃記に書かれた山縣有朋の言葉は言う。「ここは雨の中でこそ最も美しい」と。苔は雨の翌日に元気になり、色鮮やかな緑色になる。苔を楽しむならば、乾燥した冬よりも雨の多い夏場の方が適している。季節だけでなく、気温や湿度、その時々の環境に合わせて庭は姿を変える。

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