元来た道を引き返し、二股の道を左へ左へと進もう。するとそこには茶室がある。有朋は茶を嗜んでいて、特に煎茶を好んでいたと考えられる。無鄰菴造営当初に移築されたこの茶室も、抹茶のみならず煎茶も振る舞う席として使われていたようだ。
今では茶道といえば主に抹茶の世界を指すが、明治大正時代をかけて、煎茶道も一つの嗜みだった。
煎茶の世界のルーツは中国の文人思想にあり、自然と深く交わることを教養の基礎においている。したがって、茶席も広く景色の開かれた場所に置かれ、特に流れの近くにあることが良しとされた。
無鄰菴の茶席はその両方を満たしている。バルコニーのようになっている部分が庭に面しており、とても特徴的で他には見ない茶席の造作だ。しかし、改築される前はこのスペースは壁に覆われ千利休の像があり、礼拝室として使用されていた。「庭を見ながらお茶が飲みたい!」という思いから、神聖な場所を大胆にも取り払った有朋。形式にとらわれない明治の政治家らしい人柄をうかがわせる。