「茶の湯とは、ただ湯をわかし茶を点てて、のむばかりなることと知るべし」
これは千利休が残した言葉。お茶を振舞う亭主と、招かれた客が互いに心を通わせ、その場を大切にする一期一会の考え方。それこそが、茶の湯の思想だ。その舞台となるのが、茶室。でも、茶室とは一体何だろう。
松村宗亮は、「(茶室は)世俗から離れた幽玄の世界」だと言う。
人が忙しく行き交う中部国際空港で、松村氏が参加するアート集団「The TEA-ROOM」が表現したのも、「幽玄の世界」という茶室の概念だ。
彼らが作り上げた「現代的な茶室」は、目で見える単純な空間ではない。
それは、ものごとの表面にとらわれず、その先を見極める俯瞰的な想像力であり、そっと耳を澄ませることで聞こえてくる、日常のなかの非日常。
メインの茶室に向かうコンコースに配された視覚的な作品は、言わば、幽玄の世界への入り口であり、世俗の世界と一線を引くための結界でもある。一見、QRコードを無作為に並べただけのようだが、少し離れて全体を見渡すと、「竹林豹虎図」をはじめとした名古屋城本丸御殿の襖絵の数々が浮かび上がる。ここには、茶室に入るにあたっての「(QRコードに象徴される)世俗に囚われず、ものごとを俯瞰的に捉えよ」との戒めが込められているのではないだろうか。
新型コロナウイルス感染状況を考慮し、空港利用者の安全確保と感染拡大防止のため、残念ながら非展示となった「茶室」は、センターピアガーデンの天井から吊るされた黒い板でミニマルに表現される予定だった。この広い空間の中に黒く低い天井を設置することで、伝統的な茶室に共通する親密な空間を新たに作り出すのだ。さらに、この新たな空間の内部には、音響技術を駆使して、外とは違う音の空間ができあがっている。せわしない空港内とは切り離された、儚い非日常の空間だ。
しかし、こうした意図を知らなければ、そして十分に意識しなければ、この茶室の存在に気づくこともない。ただ、通り過ぎてしまうだろう。茶室とは結局、そこに美を見出さない限り、何の変哲も無い和室や空港のホールにすぎない。時勢によっては消えてしまう、儚い存在でもある。その空間に静かな感動を覚えるか否かは、体験する者の心のありようなのだ。