本丸御殿は、外見こそ飾り気はないが、内部は格式高くて豪華絢爛。江戸時代初期の武将が暮らした環境を垣間見られる貴重な建物だ。名古屋城の本丸御殿が建てられたのは、家康が天下統一を成し遂げたものの、まだまだ各地で対抗勢力がくすぶっていた時期。不安定な情勢だった。そのため家康は、自らの権威を示すために、徹底して格式にこだわった。
内部は玄関から奥に進むにつれて、徐々に格が上がる構造になっている。障壁画は虎、花鳥、人物、そして山水へと変化し、天井の装飾は徐々に複雑かつ華やかになる。客人は位によって、どの部屋まで入れるかが厳しく定められていた。こうして、本丸御殿を訪れる者はきらびやかさに圧倒され、嫌がおうにも自分の立場を思い知らされたのだ。
本丸御殿とは、通常、城主の邸宅兼政治を行う場所である。しかし、名古屋城の場合は尾張藩初代藩主が短期間住んだのみ。というのも、京都へ向かう江戸幕府三代将軍徳川家光が道中で宿泊できるよう上洛殿が増設され、本丸御殿が将軍専用の宿泊所になってしまったから。だから、城主は本丸御殿ではなく、二之丸御殿に居住し、江戸時代を通じて本丸御殿が使われたのは数えるほどだったという。第二次世界大戦の空襲で焼けてしまった本丸御殿だが、10年かけて復元され、2018年から完成公開されている。すべて400年前と同じ方法で復元されているため、実際に家光公が目にしたものにかなり近いそうだ。