さて、この辺りで名古屋城と茶の湯との関係を探ってみよう。「侘び茶」と呼ばれる茶の湯のスタイルを千利休が完成させたのは、名古屋城築城から少し遡った戦国時代のこと。
侘び茶の茶室の多くは、質素でほの暗く、非常に小さいものだった。身分に関係なく、「にじり口」という小さな入り口から全員頭をかがめて入る構造になっている。本丸御殿とは、対極にある空間だ。わび茶の世界は、言い方を変えれば、権力や煌びやかさにまみれた「俗世」から切り離された、「幽玄」の空間だったのだ。
さらに茶室は、戦国武将たちの密談の場でもあった。表向きにはお城で公式に対応し、裏では茶室で話を密に詰める。そんな緩急をつけた交渉が行われていたのかもしれない。小さく無駄な装飾のない茶室なら、静かに話に集中することができそうだ。
こうして想いを巡らせてみると、一見何の関係もなさそうな本丸御殿と茶の湯は、ある意味、表裏一体の関係だったのかもしれない。