「茶道は日本のおもてなしの原点」と言われるほど、茶の湯には客をもてなすための哲学が詰まっている。では、江戸時代、名古屋城を訪れた将軍の使いなど、限られた人物のみが通された猿面茶室でのおもてなしとは、一体どういったものだったのだろう。

徳川美術館では、名古屋城ではなかなか内部を見ることができない猿面茶室の復元や、尾張徳川家に伝来し、実際に使われていた茶道具などが展示されている。当時の様子を垣間見ることができるのだ。

猿面茶室は、四畳半よりやや大きい四畳半台目である。現代の感覚からすると、やや窮屈に感じるかもしれない。床の間の右側の柱の上の方に見える模様が、茶室名の由来とされる「猿面」だ。

さて、茶道具を使って、この小さく質素な空間をうまく演出するのが、茶事のホストとなる亭主の腕の見せ所だ。茶の湯には、茶碗をはじめ抹茶を入れる茶入、抹茶をすくうための茶杓、水を入れておく水指など、多くの茶道具を使う。亭主は、客人や季節などに趣向を凝らして、道具を組み合わせるため、美術館のキュレーターのような役割を担っていると言えるかもしれない。

道具と一口に言っても、素材や形、色、作者、製作地などが様々で、また、格式も違う。中には、「名物」と呼ばれる、非常に価値が高いとされる道具もあり、持っている名物の数が、武士の格付けになった時代もあった。もし、ある人がゴッホやピカソの有名な絵を所蔵していたら、「ピカソのあの絵を持っているすごい人」と箔が付く。それと似た感覚だったのだろう。戦に明け暮れた戦国武将たちも、「あの茶碗、欲しいなあ」と想い焦がれていたと考えると、なんだか可愛らしくも思える。

徳川美術館に展示されている茶道具は、尾張徳川家伝来のもので、名品も数多い。名古屋城では、そうした名品で訪れる客をもてなしていたのだろう。所持者の名前を注意して見ると、千利休、織田信長、徳川家康など、そうそうたる名前が連なっているものもあり、「彼らはどんな風に使ったのか」、「自分ならこんなお花を生けたい」「こんなお菓子を盛りたい」と思いを巡らせてみるのも楽しいもの。ぜひ、亭主になった気分で、ひとつひとつ道具を吟味してみてはいかがだろうか。

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