茶道具は、知れば知るほど多くを語るものだ。茶碗一つをとっても、産地を訪れたことがあれば、ふと、その風景まで浮かぶようになる。ならば、ぜひ、焼き物の産地に行ってみよう。

知多半島の西岸に位置する常滑は、平安時代から900年以上続く焼き物の街。豊富で質の良い土、窯を築くのに最適な起伏のある地形、さらに伊勢湾に面して輸送に便利な立地を生かし、焼き物の一大産地として発展してきた。そのため、信楽、備前、丹波、越前、そして同じ愛知県の瀬戸と共に、中世から続く焼き物の代表的な産地、六古窯(ろくこよう)のひとつとにも数えられ、2007年には日本遺産にも認定された。

常滑が長きにわたり栄えた理由は、恵まれた立地条件だけでなく、時代ごとに求められる製品を造ってきた柔軟性にもある。鉄分を多く含む常滑の土は、比較的低い温度でも焼き締められるため、古くから甕や壺などの大きな製品が多く造られてきた。茶道具や朱泥の急須も造られるようになったのは江戸時代。「朱泥の急須」とは、会社や実家などでお茶を入れる時に使う、あの赤茶色の急須、と言えば身近に感じる方も多いだろう。そして明治時代以降、常滑の主要製品は、下水用の土管や焼酎瓶、建築用のレンガやタイルへと変わっていく。アメリカの有名な建築家、フランク・ロイド・ライトが設計した初代の帝国ホテルにも、常滑焼のタイル・テラコッタが使われていた。時代ごとに需要を見極める姿勢は、長く続くビジネスの手本としても、参考になるのではないだろうか。

実用的なものを中心に作ってきた常滑だが、茶の湯との関係も少なくない。素朴で、土の風合いが感じられる常滑焼は、花やお菓子の色味が引き立つため、花入やお菓子器として重宝され、かの千利休は常滑焼の水指を持っていたという。江戸時代に入ると、茶道具を造る名工が現れ、お茶好きで有名だった12代尾張藩主の徳川斉荘も、常滑を訪れて作陶のデモンストレーションをしてもらったという記録がある。

やきもの散歩道は、50軒以上の工房やギャラリー等が集まるエリアを巡る散策道。ここでは直接作家と話し、作品を手に取って見ることもできる。起伏のある街並みに、古い煉瓦造りの煙突が点在する様子は非常に風情があり、常滑焼をぐっと身近に感じることができるだろう。ぜひ、歩いて、見て、触って、常滑の歴史に思いをはせて欲しい。こうした体験がきっと、茶席や美術館で常滑焼を目にした時に蘇るのだから。

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