「お抹茶もいいけれど、やっぱり楽しみなのはお菓子」という方は結構多いのではないだろうか。お茶とともに出されるお菓子は、見た目も楽しく、お茶の味わいをより一層引き立ててくれる名脇役だ。
しかし、茶の湯が大成された戦国時代は、白砂糖が非常に貴重だったため、今のような色とりどりのお菓子が出てくることはなかった。その時代の茶会の記録をみると、まんじゅうや羊羹、草餅に加えて、果物や煮たこんにゃくなどもお茶のお供として登場していた。千利休は、自ら考案した「ふの焼き」という、小麦粉の皮を焼いて味噌を塗ったものを好んで出していたという。
時は流れ、季節の花などをかたどった色とりどりのお菓子が登場したのは、江戸時代の半ばになってから。白砂糖の流通が増えたことにより、京都で創意工夫をこらしたお菓子が作られ始めると、すぐに他の都市にも広がっていった。お菓子の色形はどんどんと増え、風情な名前がついたものも出てきた。季節感を大切にする茶の湯において、お茶菓子は味覚を楽しむだけのものでなく、床の間の花のように、茶会に彩りを添える要素の一つとなっていったのだ。
大手の菓子屋は「御菓子絵図帳」などと題した、イラスト入りのお菓子カタログを作り、茶会のテーマなどに合わせて客が注文しやすいようにしていた。尾張徳川家の所持していた絵図帳には、お菓子がひとつひとつフルカラーで詳細に描かれ、名前と材料が書き添えられている。その姿は、動植物から自然の風景まで様々で、デフォルメされたものも多く、菓子職人たちのデザイン力に驚かされる。絵図帳のいくつかは、徳川美術館に隣接する蓬左文庫で閲覧できるので、興味のある方は足を運んでみてほしい。
お茶好きの多い名古屋には、いまでも多くの菓子屋がある。中でも、寛永11年(1634年)創業の両口屋是清は、尾張藩の御菓子御用を務めた老舗だ。数奇屋建築研究で有名な中村昌生が設計した八事店や隈研吾による設計の東山店では、店自慢のお菓子とともにお茶をいただけるので、散策の合間に立ち寄ってみてはいかがだろう。