グラグラ、というより、グラーングラーンと左右に揺れている感じ。気を抜くとバランスを崩してしまいそうになる。それが怖くて足元を見ながら歩いていると、足場の板の隙間(けっこう広い)からはるか下を流れる川が目に入って、一瞬、気が遠くなる。それならばと前を向けば、ゴールはだいぶ先……。
ここは、十津川村の上野地と谷瀬を結ぶ「谷瀬の吊り橋」。長さ297メートル、高さ54メートルあり、生活用に作られた吊り橋としては日本一の長さを誇る。年間16万人が訪れる、十津川村ナンバーワンの観光スポットだ。
橋の入り口に掲げられている注意書きには「危険ですから一度に20人以上はわたれません」とある。でも、297メートルの橋の上に何人いるのか、そうそう数えられない。橋を渡るも、渡らないのも、あなた次第! 腹をくくった人から、一歩を踏み出す。
体を固くして、ペンギンのようによちよち歩きしている人、必死の形相で横のワイヤーを掴みながら及び腰で歩く人、余裕の表情でポケットに手を入れながら歩いている人、修行僧のように無表情で歩く人……。谷瀬の橋の上で感じる、人の多様性。でも、端まで渡りきると素敵な笑顔を浮かべるのは、みんな共通している。
毎年8月4日の「橋の日」には、吊り橋まつり名物「揺れ太鼓」が行われる。地元の太鼓倶楽部が谷瀬の吊り橋のまんなかで和太鼓を演奏する催しで、2020年に29回目を迎える。太鼓の打ち手がみんな同じ動作をするので、橋のワイヤーが共振していつも以上に揺れる。メンバーのひとりは、「もしかしたら、と思うと怖くなるから、あまり考えないようにしてます」と苦笑する。
揺れる橋の上でのスリル満点のパフォーマンスと渓谷に響く勇壮な太鼓の音を目当てに、多い時には1000人の観光客が訪れる。
ところで……。なぜ、谷瀬にこんな大きな吊り橋がかかっているのだろう。その歴史を知りたくて、谷瀬集落の総代を務める坂口哲夫さんを訪ねた。
「昔はもっと揺れたんですよ」
なが~く伸びた白いひげが印象的な坂口さんは、そう振り返る。実は、今ある橋は昭和47年(1972年)に補修されたもの。坂口さんが子どもの頃に遊んでいたという最初の橋は、昭和29年(1954年)に架けられた。
「橋の下の河原には集落があったんですが、明治22年(1898年)の大水害で軒並み流されました。その後も、河原に丸太を置いて対岸に渡っていたけど、雨が降る度に流されては、架け替えすることの繰り返しでした。それは本当に手間がかかるし、村の負担だったので、橋を架けることになったと聞きました」
生活に必要な橋を架けようと思ったら、行政に掛け合うのが一般的な手順だろう。しかし、谷瀬集落の人たちは違った。教員の初任給が7800円という時代に、一戸あたり20万円を出し合い、さらに集落の山の木を伐りだしてお金に換え、当時としてはとんでもない大金の800万円を投じて橋を渡したのだ。
行政を頼らなかった理由は、今となってはわからない。でも、推測はできる。明治時代まで、十津川村は税を免除されていた。それは裏を返せば行政のサポートは受けられないということだ。そんな歴史から培われた、独立独歩の気質が関係しているのではないだろうか。ちなみに、税が免除された背景には2つの言い伝えがあるそうだ。
「十津川の人たちが昔から天皇や皇族と縁があり、守ってきたから、という話と、辺境過ぎて税を取り立てるのが難しかったという話があります」と村役場の馬場健一さん。
いずれにしても、村人たちは一致団結して橋を作った。「谷瀬の人たちは、団結力があるんです」と坂口さん。そのパワーが最も発揮された出来事ともいえるだろう。
この橋は、谷瀬集落の人たちの生活を変えた。子どもたちは橋を渡って対岸の学校に通うようになり、橋の上が遊び場になった。大人は買い物や出勤に使った。時には、橋の両端に板を渡し、耕運機を走らせて対岸に渡った。同じ方法で、集落初の自動車、ダイハツのミゼットも集落に入ってきた。
ただ、そのころの吊り橋は簡素な作りでよく揺れた。
「風が吹いたり、雪が多いと学校は休みになりました。一度なんて、強風で橋がグルンとひっくり返ったそうです。橋の上にいた人はとっさにワイヤーにつかまってぶら下がって、なんとか助かったみたい(笑)」
最初の頃は村人だけが使っていたこの橋は、次第に注目を集めるようになった。これだけ長くて、高くて、怖い吊り橋は珍しかったから。橋を目当てに観光客が訪れるようになると、昭和47年(1972年)、今度は十津川村がお金をかけて現在の橋に補修された。
以来、この橋を渡った人は数知れない。最初は戸惑っていた谷瀬集落の人たちも次第に観光客を歓迎するようになり、2013年には「ゆっくりさんぽ道」を整備した。ゆっくりさんぽ道は、谷瀬の集落から森山神社に続く散歩道。少々長めの階段を登り切ると、神社の裏手に吊橋を見下ろす絶景が待っている。この散歩道を作るこの時も、谷瀬集落の団結力がモノを言った。
「僕らが子どもの頃、今の展望台がある場所からほんまにいい景色が見えたんですよ。でも、そのうち杉とかヒノキが生えて、なにも見えなくなった。それで、せっかくなら、観光客の人にここも見てもろうたらええんちゃう? ということで、ボランティアで木を切って、展望台にしたんですわ」
ほかにも、集落のみんなで通りに花を植えたり、水車を作ったり。そのお金も自分たちでねん出しているというから驚いた。
「集落のメンバーで作っているゆうべし(ゆずを使った伝統保存食)とか高菜の漬物、山で採ってきた松茸の売り上げの一部が、集落に入るようになっているんです。それを集落の整備に使っています」
十津川村も、ほかの全国の村と同じく少子高齢化や人口減少に悩んでいるけど、近年、谷瀬集落にはIターンが5組あり、子どもも増えて0歳から3歳まで8人いる。それは、結束の強さと観光客にも開かれた居心地の良さが、村外の人にも伝わっているからだろう。
こういった集落の歴史や取り組みを知った後に谷瀬の吊り橋を渡れば、きっと「怖い」だけではない深さを感じるはずだ。
ところで、十津川村の吊り橋といえば「谷瀬の吊り橋」だけど、この村にはおよそ50の吊り橋がある。ほかの吊り橋も渡ってみたい! という怖いもの知らずの人にお勧めなのが、次の2つ。十津川村に精通したTomodachi Guideによると、谷瀬の吊り橋は初級に過ぎない……。あなたは、この揺れと恐怖に耐えられるだろうか?