なだれ込む雲海、物語があふれ出る玉石、樹齢3000年の神代杉。神がかりな大自然に囲まれた本殿の奥には、秘密の襖絵が。

インターネットで検索すると、「呼ばれないとたどり着けない」「日本一のパワースポット」などと書かれている、玉置神社。紀元前37年、崇神天皇の時代に悪魔退散のために創建されたと伝えられていて、平安時代より、熊野三山の奥の院とも称されてきた。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産にも登録されている。

十津川村の南に位置する玉置神社を目指し、標高1077メートルの玉置山を走る道路をグングンと登っていく。その道すがら、僕たちは思わず「おお!」と声を上げた。視界いっぱいに雲海が広がっていたのだ。晴天の青空と隙間なく立ち込めている白い雲のコントラストが美しい。

その日の天候や気象次第ではあるけど、雲海が発生するのは朝。この絶景を見るために早起きする価値はあると、断言できる。

駐車場から、山のなかの参道を通って本殿に向かう。古くから聖域として伐採が禁じられていたため、参道の脇には、樹齢約1000年と言われる大杉をはじめ、見たこともないような杉の巨木が立ち並ぶ。

10分から15分ほど参道を歩くと、境内につく。境内にある神代杉は、なんと樹齢3000年。8メートルを超えるとされる幹の太さ、空に向かって手を広げているような枝ぶりは、太古の時代からこの場所で生きてきた威厳と圧倒的な生命力を感じさせる。

本殿も歴史と風格を感じさせるたたずまいで、厳かな気持ちになった。手を合わせてから、約200年以上の社務所で宮司代務者の舛谷武さん、禰宜の神谷芳彦さんに話を聞いた。

中学まで十津川村で生まれ育った舛谷さん。子どもの頃はまだ神社に通じる道路がなく、玉置神社のお祭りの日には3時間かけて山を登ってきた思い出があるという。宮司代務者に就いたのは、2018年のことだった。

「高校からずっと外に出とったんやけどね。退職してから神職の学校に行って。その時に、いとこがここで宮司をしとって、帰ってこんか、と言われたから、生まれたところやし、ということで帰ってきました。それからすぐにここで神職に就きましてね」

舛谷さんに玉置神社の成り立ちを聞くと、「文献もないし、はっきりしたことはわかっていないんです」とにこやかに言われて驚いた。

「言い伝えでは、紀元前からとされてるけど、個人的には、はっきりした歴史がわからないというのもいいんじゃないかなと思っております。神代杉の前に行ったら人間はこんなにちっぽけなものだと感じるじゃないですか。そういうふうに歴史を感じてもらえればいい。ただ、ここには修験道の人が歩く奥駈(おくがけ/大峯奥駈道)が通っていて、生活道だった熊野街道との交差点だから、昔から往来が多かったところだと思います」

確かなことは、十津川の住民が総じて玉置神社の氏子であり、長い間、地元の人が集い、慕い、守ってきた場所ということだ。

玉置神社の近くで生まれ育ち、今は玉置神社で働いている女性が、話してくれた。

「私らの時、十津川には9つの小学校があって、そのうち(玉置神社に近い)南部の小学校では、餅つき踊りとか獅子舞の奉納に来ていました。10月の例大祭は全校遠足で、朝の5時に集合して山を登り始めるんです。途中でお昼を食べて、神社まで来ました。当時は境内を走り回っている天狗に頭を叩かれるといいって言われていましたけど、思い切り、ぱこーんと叩かれるから怖かった」

修験道とかかわりが深い天狗が神社のお祭りにいるのは、神仏習合の時代の名残だろう。平安時代より、玉置神社は修験道の霊場としても栄えた。享保12年(1727)からは、修験道の本山、京都の聖護院が実権を握り、200人もの僧侶が生活していたという。

しかし、慶応4年(1868年)に神仏分離令が公布されると、十津川村でも廃仏毀釈の動きが活発化し、聖護院も玉置神社を手放さざるを得なかった。社務所には聖護院時代の豪奢な襖絵が残されていて、参拝者に有料で公開されている。襖絵はお寺にあるもので、神社にあるのは珍しいそうだ。

「狩野派で聖護院のお抱え絵師の橘保春が、樹齢600年以上の杉を切って5年干した一枚板に直接描いています。二百数十年前に描かれたものですが、ここは湿気が強いので、当時の金箔が今もきれいに残っているんですよ。手前の板から海、岸、平地、山という順番で描かれていて、奥の部屋から見ると山の上から海を見下ろしているようなひと続きの絵になっているんです。山の上にある玉置神社は漁師たちにとって灯台の役割を果たしていたこともあり、その時代に神社から見た景色が描かれているようで面白いですね」と神谷さん。このきらびやかな襖絵は撮影禁止で、玉置神社に行かなければ見ることができない。

いつの頃からか、玉置神社は「呼ばれないとたどり着けない」「日本一のパワースポット」などと言われるようになった。舛谷さん「(そんな噂を)誰が流してくれたんか?」と笑いながら、こう振り返る。

「途中まできたけどエンジンが止まったとか、側溝にタイヤが落ちたとか、そういう方がいるんです。シカが車にぶつかってきたと言って引き返した人もいました。それに、冬場は雪が道に残っていたらなかなか登れないし、夏場も台風がくると道が崩れて登れない。そういうことがなにかで広まったんかなあ。玉置の神様は優しいけど、非常に厳しい神様だとも言われていて、誠心誠意お勤めしないと大変な目にあうぞと言われてます。それがまた意外と当たるんや。不思議なもんやね」

本当に「呼ばれないとたどり着けない」のかどうかは謎ながら、急にエンジンが止まったり、シカがぶつかってきたりしたら、確かに「今回は呼ばれていないのかな……」という気分になりそうだ。それにしても、「大変な目にあう」「意外に当たる」という言葉が気になった……。全国的にも珍しい「悪魔退散」を掲げる神社だから、疚しいところがあると、遠ざけられてしまうのかもしれない。

玉置神社をもっと深く知りたい、味わいたいという方にもってこいなのは、昨年から1年に数回開催されている巫女、参籠体験。1泊2日で神社の宿坊に泊まり、お参りに参加するというもので、普段はなかなか見ることができない朝と夜の玉置神社を体験することができる。人里離れた玉置神社から見る満点の星空、朝もやが煙る境内……きっと想像を超えるような景色が広がっているのだろう。

舛谷さん、神谷さんにお礼を言って神社を後にした僕たちは、玉置山の頂上を目指した。その途中にあるのが、玉石社。社殿がなく、丸い玉石を礼拝する古代の信仰様式を残していて、玉置神社の基となったと伝えられている。「玉を置く」から玉置神社というわけだ。

玉石社には白い玉石がたくさん転がっているけど、由来となった玉石は、杉の根元で埋まりかけている黒い巨石。どれだけの人がここで祈りをささげてきたのだろうと思いながら、僕たちも手を合わせた。

玉石社から頂上までは、10分ほど。山頂は開けていて、晴れていれば熊野灘が一望できる。ここまで来たら、深呼吸がしたくなった。異世界から現実に戻ってきたような気分だ。

最近では、十津川の村民でも玉置神社に来たことがないという人が増えているという。村の郊外にあるから、旅行者のなかにも訪ねてこない人はいるだろう。それは本当にもったいない。杉の巨木が迎えてくれる参道から、本殿、社務所、玉石社、そして山頂を巡る。その歩みの過程で、「なにか」を感じるかもしれないし、なにも感じなかったとしても、散策するだけで本当に気持ちがいいから。

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