レストランでは食べられない。地元の人にお呼ばれするしかないはずの十津川の郷土食を探し求めて。

山深い紀伊半島の中央に位置し、奈良の秘境と呼ばれる十津川村。交通のアクセスが悪く、長い間、周囲から隔絶されていたため、ユニークな食文化が残る。十津川村の食文化に詳しい村役場の浦誠さんが、十津川村ならではの興味深い食の話を聞かせてくれた。

まずは、日常的な食べ物、飲み物について。浦さんの話で驚いたのは、十津川村の人がいくつかの「水」を使いこなしていること。

例えば、寒の入りから寒の明けまでの時期(1月5日頃の小寒が寒の入り、2月4日頃の立春が寒の明け)に採った「寒水」で料理を作ると腐らないという言い伝えがあり、寒水を一升瓶に入れて取っておくそうだ。

また、十津川村は蛇口をひねると温泉水が出てくる宿があるほど温泉が日常にあり、ご飯を炊いたり、コーヒーを淹れたり、ゆで卵を作ったりと温泉水も広く活用されてきた。

「子どもの頃は、カップヌードルに温泉の湯を入れてましたね。普通のお湯を入れるよりも美味しくなった気がします。最近では温泉プリンが人気ですね」

十津川村には、わざわざ県外の人が汲みに来る湧き水もある。世界遺産「熊野参詣道小辺路(こへち)」が通る果無山脈の麓で湧いている「果無の水(はてなしのみず)」で、村内でも「唯一大腸菌がいない、一番きれいな水」として知られている。これを使って料理をしたり、コーヒーを淹れたりすると美味しくなると言われていて、和歌山からも汲みにくるそうだ。持ち帰り自由だし、その場で直接飲むこともできるから、ぜひ十津川村の「一番きれいな水」を味わってほしい。

水つながりでいくと、十津川村で出されるお茶の多くは自家製だと言ったら、驚くのではないだろうか? 茶葉は買うものではなく、自分たちで茶葉を摘むところから始まる。

「お茶の木が、自分の家や畑の周りに生えてるんですよ。みんな、その新芽を摘んで、家の鉄鍋で炒って、むしろのうえでお茶揉みして、天日で乾かして、保存しとったんです。うちにはお茶を炒る専用の鍋もあるんですよ。だから、お茶の葉を買う感覚はないですね」

そもそも、各家庭に「マイ茶の木」があること自体が不思議だけど、住民が各家庭でその茶葉を消費していることに驚いた。これぞ、ナチュラルな地産地消と言えるだろう。

しかも、この自家製のお茶はフル活用されている。例えば、布袋にお茶の葉を入れ、水を入れた鍋で煮出して、米を入れて炊く茶粥。これは奈良の郷土料理ながら、十津川では食事の基本だった。

「白いお粥は風邪を引いた時だけで、茶粥が当たり前でした。爺ちゃん、婆ちゃんは毎日、炊いてましたね。お昼に、茶粥ときゅうりの糠漬けを1本持ってきて、茶粥をすすりながらきゅうりをかじった後に、ご飯を食べているおじいちゃんもいました」

自家製のお茶は、もちろんお茶漬けとしても大活躍。ご飯にかけるのではなく、焼いたお餅に番茶をかけて食べるのが定番だった。

「子どもの頃、遊びに来たいとこがお餅に砂糖醤油をつけて食べ始めたんです。うわっこんな食べ方すんのって思いました(笑)」

十津川村はかつて道路事情が悪く、新鮮な食材を手に入れることが難しかった。そのため、保存食が発達した。お餅もそのひとつとして、「焼く」以外にも活用された。

例えば、「きりこ」。これは、「寒(かん)」に作るもので、切り餅を作る容器にお餅をのせて、枠いっぱいに延ばす。それを1週間から10日ほど乾燥させたら、餅を立てて、鉋のような道具で1センチほどの厚みに削っていく。これを「きりこかき」という。短冊状の餅がいくつかできたら、今度はそれを5ミリ前後の幅で細かく切って、保存する。それを火鉢や七輪で炒って、もち米100%のおかきを作る。主な食べ方は、お茶漬け。

「ご飯の上にきりこをのせて、少し塩を振った後に、番茶をかけて食べるんです。最近見ないけど、あれはおいしかった!」

十津川の日常的な保存食としては、「ゆうべし」もメジャーな存在だ。ゆずの実をくりぬき、そのなかにみそ、胡桃、ごまなどを詰めたものを蒸した後、干して冬の寒風にさらして作る。ゆずのなかに詰める食材は各家庭、地域によって違うそうだ。

十津川温泉のある大字平谷にある施設「いこら(地域交流センター)」で水曜日に出展している「十津川四季の食彩 たまちゃん」では、干ししいたけやシーチキンなど13種類の食材を入れたゆうべしを販売していた。

ゆうべしは、スライスしたものをご飯に乗せて食べたり、みそ汁に入れて食べるだけでなく、即席みそ汁にもなる優れモノだ。

「山仕事をしている人のなかには、ゆうべしを持って行って、熱いお茶を入れてみそ汁風にして飲んでいたと聞きました」

最近はチーズを乗せるなど食べ方が多様化し、お酒のお供としても重宝されている。

中身が自由という点では、めはり寿司も同じ。寿司という名前がついているけど、山仕事や農作業の時に持参した高菜漬けの葉で包んだ大きな俵上のおむすびのことで、なかの具は好みによる。大きなおむすびを頬張る時に目を見張るぐらい口を開けたということから、「めはり寿司」という名前がついたそう。

十津川村の保存食のなかでも特別な存在なのは、さんまのなれ寿司。今ほど道路が整っていなかった時代、魚は和歌山からジェット船で何時間もかけて運ぶしかなかったため、十津川村で魚といえば干物か塩漬けしかこなかった。なれ寿司は、12月ごろ、脂がすっかり落ちて塩漬けにされたさんまを背開きして骨を取り、水で塩抜きして、さんまを一匹使った姿寿司を作る。桶にウラジロ(シダ)を敷いてさんまの寿司を並べ、ウラジロ、寿司と交互に隙間なく詰める。落し蓋をして重しを乗せる。塩水を入れて、2週間から1カ月ほど発酵させる。これを大みそかの日に桶をひっくり返して水を抜き、大みそかから正月に食べるのが、なれ寿司だ。

運よく、正月過ぎに「いこら」のたまちゃんのお店で自家製のなれ寿司を食べさせてもらったけど、程よい酸味とさんまのうま味が絶妙に絡み合っていて、美味しかった。

十津川村の食文化の話を聞いていると、見慣れない、聞き慣れないものばかりで、さすが秘境! という気がする。この時代まで変わらず、さらに広く知られていないことは、貴重なこと。十津川村の食文化を巡ったら、大きな旅の思い出と話のネタになりそうだ。でも、レストランのメニューにあるものは少ない。気になるものがあったら、地元の人にまずは質問してみよう。例えば「茶粥」について質問したら、「なんで知ってるの?」という会話が始まって、運が良ければ口にすることができるかもしれない。もし、そうならなくても、会話が弾んで仲良くなれるかも。それにしても、「きりこ」の味が気になる。ああ、想像しただけで、お腹がすいてきた。

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