なぜ、牛があるのか。なぜ、地面に伏してうずくまっているのか。

その理由を知らなければ、太宰府天満宮の“たいせつなこと”は目に見えない。

「菅原道真」といえば、日本人なら誰もが知っている歴史上の人物。平安時代の京都で学者でありながら「右大臣」という朝廷でナンバー2の役職まで昇進し、よい政治をした。しかし、そのことを妬む人もいて陰謀により左遷される。そうして追いやられて来た場所こそが太宰府。その暮らしは貧しく、痩せること鶴の足のごとし。太宰府に来てわずか2年後、道真は59歳で亡くなってしまう。

道真は弟子に遺言を残していた。「思うところあって、遺骨は京都に返さないでほしい」その言葉にしたがって、道真の亡骸は牛車に乗せて運ばれた。が、途中で牛が座り込んでしまい、押しても引いても動かない。「きっと“この場所がよい”とお告げなのだろう」そう考えた弟子は牛がうずくまった場所にお墓を建てた。その場所こそ、現在の太宰府天満宮の本殿があるところ。

その意味では、太宰府天満宮における参拝とは菅原道真のお墓参りに行くということ。現代に生きる私たちが道真と心を通わせに行くということなのかもしれない。

思うところ”とは何だったのか?

菅原道真の亡骸は京都に返されず、この地で葬られた。当時としては異例のことなのだが、道真はなぜそれを望んだのだろう。

ある人は言う。道真は忠義に厚い人。天皇の命によって太宰府に送られたのだから、たとえ無実でも天皇のお許しがない限り、京都に帰ることは許されない。そのような正義を貫いたのではないか、と。

またある人は言う。「思うところ」としたところが菅原道真の人間味なのではないか。「あいつのせいでこんな目にあった」と誰かのせいにせず、「思うところ」と、あえて具体的に言わなかった。そのことが道真の正義であり、思いやりであったのかもしれない。

あなたは御神牛像にまつわる物語を聞いて何を感じるだろうか。

Next Contents

Select language