本殿に向かう前に手水舎で手と口を洗い清めてほしい。目の前に作法も記されているはずだが、手水とは心身を清めるために川や海などに浸かっていた「禊(みそぎ)」の儀式を簡略化したものと言われている。
さて、手水を済ませて楼門をくぐり抜けると、いよいよ最も神聖な本殿が目の前にあらわれる。
左遷される直前まで、道真は歴史書の編纂を進めていた。漢詩をあやつり、外交官としても外国文化に接していた道真は、だからこそ、外国の文化を取り入れるだけではなく、日本人のアイデンティティをたいせつにしなければならないと考えたのだろうか。いずれにせよ、文化の礎を作り、日本独自の文化の発展に尽くしていた。
ところが、急転直下。身に覚えのない罪によって大宰府に左遷されることになり、家族との十分な別れも許されないまま京都を離れることなる。そして、大宰府では衣食もままならない生活を強いられながらも、皇室の安泰と国家の平安を願い、また自身の潔白を祈りつつも誠の心を尽くした。しかし、903年。ついに京都に帰ることなく59歳でその生涯を終えた。
その後、朝廷でも無実が証明され、時代を経るにつれて、道真の卓越した才能や誠を貫いた清廉潔白な人柄を崇める人が増えていく。そして、1100年以上の時が流れた現代でも「学問の神様」「文化の神様」「誠心の神様」として多くの人々からの信仰を集めている。