白村江=朝鮮半島での戦いに敗れた日本は、急遽、防衛体制を整える。まず、対馬や壱岐に防人を置いて“のろし”による通信網を配備。博多にあった拠点を内陸部に引っ込めると、唯一の侵入経路である“この場所”をブロックした。それが水城である。
グーグルマップを見てほしい。この場所は、緑の山と山のあいだの“くびれ”にあたる。この場所をブロックすることがいかに重要であるか、わかるはずだ。
当時の人たちは、この場所に全長1.2kmの防壁を築いた。そして、博多側は堀のようにして水をたたえた。だから「水城」と呼ばれるのだが、そんな大工事をたったの1年で完成させたという。仮に1年で水城を作るとすれば、当時の技術では、1日に3500人が11時間働いて319日かかると算出されている。その必死さは、太宰府というよりむしろ日本を守るための一大事であったことが想像できる。
再び、現在の地図を見てほしい。電車の線路も、車の高速道路も、博多から南に向かう道のほとんどが水城を通過している。そのため、現在の水城はいくつかの線路や高速道路に寸断されているのであるが、その風景こそおもしろい。今も昔も、太宰府に来るためには、この水城を通って来るしかないのである。