平城京と同時期、あるいはそれより古くから都市計画がなされていたという太宰府。

あなたが歩いた道の下にもまだ見ぬ遺産が眠っているかもしれない。というのも、太宰府では最近も新発見が相次いでいる。たとえば、2011年に発見された客館跡。

巨大な2棟の建物跡で、いずれも格式が高く、大宰府政庁の建物にも似ている。新羅や唐、日本の高級食器もあわせて見つかっていることからも大宰府政庁に迎える外国使節のための宿泊施設と考えられている。

福岡市にも「筑紫館」と呼ばれる客館跡が見つかっているが、外国の使節はまず筑紫館に寄港。そこから奈良の都を目指すわけだが、中には都に上れないケースもあった。その場合に大宰府が彼らを迎え入れる。筑紫館から水城を通過して大宰府に入った使節は大宰府政庁で儀礼やもてなしを受ける。そのとき、宿泊したのがこの客館と考えられている。

当時のメインストリートである朱雀通り沿いでもある客館跡。いったい、どれだけの人が行き交っていたのだろうか。

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