1350年以上の歴史を持つ竈門神社。大宰府政庁の「鬼門除け」として、つまり、鬼瓦のように悪いものを寄せ付けまいとして神々を祀ったのが起源と言われている。祀られている神様は玉依姫命(たまよりひめのみこと)。名前の「玉依」から「魂を引きよせる」「心をひきあわせる」ような恵みがあるとしてたいせつにされてきた。
今日の景色はどうだろう。いつも雲や霧が絶えず、山の形からしても、まるで竈で煮炊きをして煙が立ち昇っているかのような竈門山。竈門山の神様はもともと「水分(みくまり)の神様」とも言われ、平野にある田畑を潤す川の水源を司る神様だった。その「みくまり」が「みこもり」に転じて、稲も子供も育ててくれると考えるようになったのか。いずれにせよ、昔の日本人は人間と植物がつながっているような感覚を持っていた。「万葉集」という言葉にそのニュアンスが感じられるのも、そのような意識をたいせつにしていたからもしれない。
また竈門神社は遣唐使にとっても重要な場所だった。遣唐使として中国に渡る人たちはまず太宰府に集合して船旅の準備をする。そのとき、竈門山の神様に航海安全を祈ることも忘れなかったという。たとえば、最澄は4隻の遣唐使船が「無事に海を渡れますように」と4体の仏像を彫って納めた。そして、無事に日本に帰ってきた最澄は再びこの山に感謝を告げに来たという。
ちなみに、このとき菅原道真の祖父にあたる人物が最澄とともに遣唐使の一員として唐に渡っている。
※竃門山は現在は「宝満山」と呼ばれている。
竈門山は昔から恋にまつわる歌で題材にされてきた。
『春は萌え 秋はこがるる かまど山 霞も霧も 煙とぞみる』
この歌は風景を歌っているように思えるが、心の中の恋模様をあらわしていると言われたら、そんな気もしてくる。「もえ」「こがるる」をはじめ、竈や火に関する言葉というのは恋する気持ちとかけやすいのだ。
なおかつ、このあたりには終戦直後まで「十六詣り」と呼ばれる風習があった。なんでも十六歳になった男女がそろって竈門山に登り、これまでの成長を山の神様に感謝する。そして、女の子は良縁に、男の子は金銭に恵まれることを願ったという。
現在は恋愛にとどまらず、家族、友人、仕事など様々な人と人との関係をよりよく結んでくれるとして広く信仰されている竈門神社。そういった文化の連なりがえんむすびの神社と親しまれる理由であろう。
参拝を終えると、かわいらしい桜色のお札お守り授与所が目に飛び込んでくる。
「100年後のスタンダード」をコンセプトに、インテリアデザイナー、ワンダウォールの片山正通が手掛けたもので、授与所内の壁面に敷き詰められた桜色の大理石で作られた短冊状のタイルは、人々の様々な願いを表している。
そして、奥の展望デッキからは、太宰府の街並みを一望できる。
航海安全祈願に訪れた遣唐使たちも、きっと同じ景色をみていただろう。