「国生み」を知れば、神社はお願いをする場所から、誓う場所になる。

もう少し神話の続きを辿ってみよう。

イザナギノミコトとイザナミノミコト。ふたりの神様が天の沼矛(あめのぬぼこ)で海をかき回し、引き上げてみると矛の先から潮が滴り落ち「淤能碁呂(おのころ)島」という島ができた。ふたりはその島に降り立ち、夫婦の契りを結び、国生みをなされた。最初にお生みになられたのが淡路島。それから四国、隠岐島(おきのしま)、九州、壱岐島(いきのしま)、対島(つしま)、佐渡島(さどのしま)をつぎつぎとお生みになり、最後に本州が誕生する。これが古事記・日本書紀の冒頭に記載されている日本の始まり「国生み」の神話である。*

ふたりの神様は、島々の他にも神々をお生みになられた。しかしイザナミノミコトは、火の神をお生みになられたことで火傷を負い、それが元で亡くなってしまう。その後もイザナギノミコトは国を整えるために尽力なされ、御神功を果たされた後、御子神の天照大御神(あまてらすおおみかみ)に国家統治の権限を委ね、最初にお生みになられた島「淡路島」に幽宮を構えて余生を過ごされ、その旧跡に祀られた。その場所こそ、この伊弉諾神宮だ。

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)の神職の方によれば、この神宮は神話の時代から幾千年にも渡って平安の祈りを捧げてきた場所。参拝するにあたっては是非とも「国生み」を心に留めてほしいという。島も木々も足元の石も、すべて神から生まれてきた。神が人間の国を作ったのではなく、また人間が国を作ったのでもない。だからこそ人は石や草木に至るまで、人以外の自然とも共存し、調和するあり方、つまり平安を体現する必要がある。神社とは願い事を叶えてもらうための場所ではなく、神様に挨拶し、自分がひとりの人としてどのようにこの調和に寄与するのか、自分なりの誓いを立てる場所なのだ。

たとえば神宮の奥に二株が一株となって大空に向かってそびえ立つ珍樹、樹齢約900年の「夫婦大楠(めおとおおくす)」がある。イザナギノミコトとイザナミノミコトの御神霊が宿る御神木として、縁結びや夫婦円満、安産祈願を込めて大勢の人が訪れる。ここで見方を変えてみよう。楠の寿命は2000年ほど。つまりこの木はあと1100年生きることができるのだ。1100年間この木が健やかに生きていくために、今、自分は何をするのか。自分の命よりも遠い未来を想像し、誓いを立てるとしたら、あなたは何を誓うだろうか?

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