潮を知る者たちは、海に浮かぶ鳥居を造った。
宮島は通称。正式な名前は厳島。「神に斎く(いつく)、つまり神様に仕える島という意味がある。それが、厳島神社のお宮がある島ということから、宮島と呼ばれるようになったのだ。
なぜ、海の上に厳島神社を建てたのか。正式名も通称名も神様に由来するこの島は、古くから、島そのものが神様であるとされていた。神様の体にむやみやたらに、鋤を下ろしてはいけない。そのため、神域の入り口にあたる大鳥居(おおとりい)は、海の上に造設され、古代の人々は対岸から小舟に乗って大鳥居をくぐり、神社を詣でたといわれている。
実は、厳島神社には、海の上に立ち続けられるためにいくつかの工夫がなされている。まずは廻廊の床の板を見て欲しい。隙間があいている。これは、台風や大波の時にでも、波を板の間に通すことで圧力を分散させ、倒壊を免れるための工夫だ。
鳥居にも数々の工夫が施されている。大鳥居の柱は地面の中に埋まっているわけではなく、下に敷かれた敷石の上に置かれているだけ。これも柱を埋めてしまったり、柱と敷石を固定してしまったりすると、満潮の時や波が荒い時に力の逃げ道がなくなり、かえって倒れやすくなってしまうから。鳥居の上部は箱状になっていて、重し石が詰まっている。鳥居は、固定されることなくその重さで立っているのだ。
厳島神社は1200年以上前からあったとされるが、現在の形をデザインしたのは平清盛(たいらのきよもり)。約850年前、武家の出身者として、初めて貴族社会の政治の実権を握るまでに出世した清盛は、中国との貿易のために、瀬戸内エリアにいくつもの潮待ちの港を作り、海の交通網を確固たるものにした人物としても知られている。
港を作るために重要だったのは、潮や波の知識。厳島神社は、この海をよく知る男たちの手によって造営された偉大な建築なのだ。