あなたは川を見ていると思うかもしれない。しかし、それは海である。
瀬戸内エリアは、古代から大陸や九州と、奈良や京都・大阪とを結ぶ海上交通の大動脈だった。潮流は6時間ごとに変わる。帆船の時代はこの潮の向きと、さらには風のタイミングを見計らいながら船旅をする必要があり、瀬戸内海の各地には、潮待ち、風待ちの港ができた。そのひとつが尾道だ。
まずは山の上にある千光寺(せんこうじ)からの眺めを体験してほしい。眼下を流れるのは尾道水道。山と山の間を川が流れているように見えるだろう。しかしそれは尾道と向島との間にある海なのだ。
「瀬戸」とは、両側から陸地が迫った小さな海峡のこと。名前の通り、瀬戸内エリアには多くの「瀬戸」があるが、中でも尾道水道と呼ばれるこの「瀬戸」は極端に狭く、対岸にある向島との距離は狭いところで幅200メートルしかない。この「川のような海」は利便性の高い交通路として多くの商人に重宝され、尾道は瀬戸内海、さらには山陰地方からの人・もの・財までもが集積する一大港町として発展してきた。
千光寺から見ると、狭い山肌に寺が密集しているのにも気付くだろう。これは尾道が江戸時代に北海道と大阪を結ぶ「北前船(きたまえぶね)」の寄港地として繁栄した頃、多くの富を手にした海運業者や商人が次々と神社仏閣へ寄進したから。中国山脈を越えて石見銀山から銀が運ばれて来ていた尾道は富の集まる町だった。さらに現代になり町に山陽新幹線が通ると、今度は山肌に別荘や、高級住宅が建つようになる。
尾道は山側に神社仏閣、海側に下るにつれ住宅、商業施設と大体の区分けがされている。実際には山と海に挟まれた限られた土地で町が拡大し続けた結果、山側にも海側にも民家が侵食しているのが現状だ。寺からの坂を町に降りてくれば、細い坂道ひとつにも、人々が暮らしてきた歴史の地層を見ることができるだろう。