海の守り神としての灯台。
日本に灯台がもたらされたのは、幕末から明治にかけて。開国を迫った外国勢が、自分たちの船が来日できるように、各地の港に灯台の設置を約束させたことがきっかけだ。日本政府は最初、この灯台づくりを、当初ヨーロッパからきた技術者たちに依頼していた。彼らが帰国したあとに、初めて日本人だけのチームで建てたのが、男木島灯台だ。
全国で2つしかないとされる塗装されていない灯台のひとつで、瀬戸内エリアの花岡岩(かこうがん)、「御影石(みかげいし)」が使われている。 まだ電気のない時代、灯台は石油灯で光っていた。男木島灯台は、灯台守り(とうだいまもり)4家族が近くの官舎に住み、一晩中起きて石油を注いだり、レンズ磨きをしたりしていたという。
瀬戸内エリアは、狭い海域に大小様々な島々が点在し、船が通行できる範囲が非常に限られている。濃霧(のうむ)がよく発生する海域でもあり、また男木島の付近では特に浅瀬に乗り上げやすい。そんな通行しにくい場所でありながら、男木島の北側を通る航路は、全国でもとくに通行する船舶の数が多い。関西と九州を結ぶ東西に航行する船や、本州と四国を結ぶ南北に航行する船、石油コンビナート群に出入りする船、あるいは神戸や大阪等に向かう外国船、そして海上タクシーや個人のカヤック、ヨットなどの往来もある。さらには「こませ網漁」や「さわら流し網漁」などの漁船が多数操業し、海中に網を張っている。
灯台の光は、そんなこの海域を通行する船にとって欠かせない信号であり、守り神のような存在。男木島灯台は、完成から100年経った今も、船舶の安全を守っているのだ。