「蔵」と聞くと、今でいう倉庫の役割をイメージする人が多いのではないだろうか。しかし、増田の内蔵は、蔵といっても蔵にあらず。その理由を知るにはまず、増田地区に現存する内蔵の特徴の一つに、畳が敷かれた「座敷蔵」が存在するという点に注目してほしい。

主に収納を目的とした板の間の「文庫蔵」に対して、「座敷蔵」は中が畳敷きになっている。鏡面のように磨きあげられた磨き漆喰の壁、漆塗りの木枠など、手の込んだ造りは、確かに倉庫として使うだけではあまりにもったいない。実のところ「座敷蔵」は、当主の居室として、もしくは冠婚葬祭などの場として使用された、家の中でも特別な空間だったのだ。

この「座敷蔵」は、増田の商人たちの「成功の証」であった。大事な大事な「座敷蔵」が傷まないようにしたい。そんな当時の人々の思いから、生まれたのが「鞘」と呼ばれる、敷地の半分以上を覆う長大な建物だ。まさに刀の鞘のように、大切な座敷蔵を収めた鞘は、特別豪雪地帯ならではの当時の人々の工夫だった。一般には「鞘付土蔵」と呼ぶこの蔵の様式を、増田では「内蔵(うちぐら)」あるいは単に「蔵」と呼びならわしてきた。だから「増田の蔵は蔵といっても蔵にあらず」。その心は、「増田では家のなかで最も豪奢な、当主や家族のための空間を、蔵と呼んできたから」である。ちなみに、内蔵に対して鞘の外にある土蔵は「外蔵(とぐら)」と呼んで区別されている。

さて、これはちょっとした豆知識だが、こうした蔵の入り口の多くで味噌が置かれているのはご存知だろうか。落語「味噌蔵」にも語られるとおり、蔵にとってもっとも恐ろしいのが、火事である。厚み30センチはあろうかと思われる漆喰の扉や壁は火事のときの類焼を防ぐ目的で作られており、さらにどうしてもできてしまう細い隙間を目塗りするため味噌が使われたとされている。

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