言葉を失うその大きさ。「でか山」はその名の通り、日本最大級の曳山である。想像していただきたい。この巨大な「でか山」が、狭い町の間をすり抜けていく様を。

「でか山」と呼ばれ、親しまれているこの祭りは、2016年(平成28年)12月、「青柏祭の曳山行事」としてユネスコの無形文化遺産に登録された。「でか山」の高さは約12メートル。上部の逆ハの字の部分は「開き」と呼ばれる。その幅は最大で約13メートル。全体の重量は、なんと約20トン。この巨大な「でか山」を、多いときには約300人で一斉に曳く。曳き手は、観光客でも男女問わず参加できる。

青柏祭は、七尾市山王町にある大地主神社、通称・山王神社の例大祭だ。毎年5月3日から5日にかけて行われる。青柏祭という名前は、青い柏の葉に、神に供える神饌を盛ることに由来している。どうしてこの青柏祭で「でか山」が奉納されるようになったのかは、正確な史料は残っていない。しかし、江戸時代にはすでに、現在の「でか山」につながる曳山が存在していたという。

「でか山」を繰り出すのは、七尾市中心部にある鍜冶町、府中町、魚町の3町だ。この3つの町は「山町」と呼ばれる。3体の巨大な「でか山」が肩を並べた姿は、思わず言葉を失うほど壮観だ。ここに展示されている「でか山」は、山町のうち、魚町の「でか山」をモデルにして造られている。ケヤキで作られた車輪は、かつて実際に使われていたもので、直径は約2メートル。しかし、国内産ケヤキの調達が難しくなったため、現在の「でか山」の車輪には、中心部にアフリカ産のブビンガが用いられるようになった。よく見ると、いくつもの材をパズルのように組み合わせているのがわかるだろう。これには、船大工の接合技術が使われている。

祭りが終わると「でか山」は部材ごとに解体される。毎年、祭りの一ヶ月前から、新たに組み立て直されるのだ。組み立てるときには、クギは一切使われない。クギでは、激しい揺れやきしみに耐えきれないからだ。骨組みは、山から切り出してきたフジのツルを編んだ綱によって結び止められる。しかし、近年ではフジを調達するのが難しくなってきたため、ナイロン製のロープで代用されることもある。ロープなら何でもよいわけではない。たとえば麻縄では、がっちりと固定されすぎてしまうので「でか山」には向かない。揺れによる衝撃を吸収したり、逃がしたりできる、しなりのあるものでないと使えないのだ。なお、ここにある「でか山」には、長期の展示に耐えられるよう、フジヅルではなくナイロンのロープが使われている。

巨大な車輪と車輪の間に、垂直に取りつけられた小さめの車輪があるのがおわかりだろうか。この直径約1メートルの車輪は「地車」と呼ばれる。これは「でか山」が方向転換をする「辻廻し」のときに使われる。実際、どのように向きを変えるのか、体験してみていただきたい。

今度は、少し離れたところから見てみよう。ハの字を逆にしたような上部の「開き」は、北前船を模したと一説には言われている。この飾り舞台には、通常3体の人形が飾られ、歌舞伎の名場面が再現される。展示中の「でか山」の飾り舞台は、加賀藩祖・前田利家公が正室・おまつの方と家臣・長連龍を伴って小丸山城に入城する場面だ。

「でか山」の進行方向の「とんがり」部分には、三角形の赤い幕が飾られる。正面から見て左右に飾られている5~6枚の「小幕」には、それぞれの山町の紋が染め抜かれている。この紋を見れば、遠くからでもどの山町の「でか山」かすぐに見分けられる。

「でか山」の天敵は、風だ。強風のときには、張り巡らされたムシロが船の帆のように風を受けてしまう。2016年(平成28年)には、春の嵐による強風で、20トンもある「でか山」の片側の車輪が浮き上がった。この年は、ムシロを切り裂いて風の通り道となるように穴を空け、なんとか転倒せずにしのいだのだ。

それでは、この「でか山」を町中で曳くのはどんな感じなのか、体験してみよう。

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