能登には「キリコ祭り」と呼ばれる祭りが数多く存在している。切籠とは、切子灯籠の略称だ。キリコという呼び方が能登では一般的だが、七尾市ではそれを「奉燈」と呼んでいる。
石崎町は古くから漁業のまちとして栄えてきた。産土神である石崎八幡神社の祭りでは、かつては山車が曳かれていた。しかしその山車の多くは、明治時代の度重なる火事で燃えてしまった。
石崎町の漁師たちは、漁に出られない冬の間、現在の能登町にある宇出津の港へ、網の修理などの出稼ぎに出ていた。当時、宇出津では、10メートルほどの高さのキリコを祭りに使っていた。しかし、大正3年、町に電灯がつき電線が張り巡らされるようになると、これほどの高さのキリコが出せなくなってしまったのだ。そんな大きなキリコのひとつが、火事で山車をなくしてしまった石崎町に譲られた。度重なる火事を経験した石崎町では、炎を鎮める願いを込めてだろうか、キリコではなく「奉燈」と呼ぶのが一般的になったのだ。
漁師気質のこの町で、それぞれの町会が威勢を競い合ううちに、奉燈はどんどん巨大化していった。また、大正初期に電灯を引くとき、奉燈の運行に支障の無いように電柱を立てたことが、その巨大化を許したのだ。
潮の満ち引きが漁に影響する漁師町であるために、石崎町では太陰暦が長く親しまれていた。石崎奉燈祭は、旧暦6月15日の満月の日に行われていた。しかし、毎年祭礼日が変わり、担ぎ手の確保が困難なことから、平成8年からは8月の第1土曜日を祭日とするようになった。
石崎町の奉燈を繰り出す7つの町会は、東は一区から四区、西は一区から三区となっている。この7町会が町内のカラーを打ち出して競い合う。かつて、祭りのパンツは白が一般的だった。昭和33年ごろから色柄パンツが流行るようになり、昭和38年には、体育祭の鉢巻きの色のように、各町会で統一された色のパンツをはくようになった。
展示されている奉燈は、西二区町会で2019年まで担がれていたものだ。西二区町会では35年ぶりの奉燈の新調だ。2020年の祭りでは、まだ漆の塗られていない、まっさらな白木の奉燈を担ぐ。西二区町会のパンツは桃色、紋は山桜だ。奉燈に記された文字は「満祥雲」と読む。文字は町会によって決められており、3種類の文字を持つ町会もある。満祥雲とは、めでたい雲が空を覆うという意味だ。夜空が明るすぎると、魚が逃げてしまう。雲が月を覆い隠すのは、大漁となるめでたい兆しなのだ。大文字の裏側には「鯉仙人」の絵が描かれている。こちらも大漁を祈願するめでたい絵だ。奉燈のまわりに取りつけられたチューリップのような提灯は「六方」と呼ばれる。六方には、それぞれの町会のカラーが使われ、毎年異なるデザインにより新調される。奉燈の上部から垂らされた縄は「張縄」という。この縄を4人が四方から引いてバランスを取る。これだけ巨大な奉燈だと、屋根が振り子のように揺れてしまうため、縄を引いて安定させるのだ。
奉燈の高さは12メートルから13メートル、重さは約2トン。この巨大な奉燈を、約100人で一斉に担ぐ。これだけの重さのものを担ぐには、統制が取れていなくてはうまくいかない。どんなふうに足並みをそろえるのだろう? ぜひとも体験していただきたい。