枠旗を地面すれすれまで倒してキープする感覚が、なんとなくつかめただろうか?
「綱持ち」は、一年や二年でできるものではない。「へっぱる」……つまり「ひっぱる」タイミングを間違えると、枠から落ちてケガをしてしまう。先輩の技を見聞きして学び、選抜され、ようやく綱持ちとなれるのだ。
島田くずしは、担ぎ手と綱持ちの息がぴったりと合わないと完成しない。とはいえ、担ぎ手も事前に練習をしているわけではない。約40人の人足のうち、半分ほどは他の集落からの応援部隊であることが多い。慣れている人なら問題ないが、初めて参加する担ぎ手が多いと大変だ。突然に枠旗が傾き出すので「なにしとるん、これ!」と動揺してしまう。
枠旗の担ぎ手には、指揮者がいるわけではない。事前に決めたわけでもないが、いつのまにか誰かがリーダー役になっている。担ぎ棒を誰かが「トントン」と叩くのが、枠旗を持ち上げたり降ろしたりする合図となる。号令の笛などはない。一度取り入れてみた末社もあったが、年長者に叱られたそうだ。「そんなもん、なくてもできるんやわ」というのが大切であるらしい。猿田彦の踊りに振り付けがないというのもそうだが、自由裁量の多い祭りなのだ。
さて、なぜ「島田くずし」は生まれたのだろうか? 実は、お旅所と呼ばれる加茂原には、かつて川の対岸から、サイカチの大木が枝を伸ばしていたという。サイカチの幹には、バラのようなトゲが生えている。枠旗を真っ直ぐ立てたままお旅所に入ろうとすると、この枝に引っかかって旗が破れてしまうのだ。やむなく、少し傾けて入場したのが始まりだったと言われている。今はその枝は切り払われてしまい、本来なら傾ける必要はない。しかし、いかに美しく傾けるかが、いつのまにか技として発展していったというわけだ。上手な末社は、地面すれすれになるまで水平に旗を倒し、そのままの状態をキープしながら歩き続ける。うまくいけば拍手喝采だが、失敗することも、ままある。それがまた、見ていてハラハラとして面白いのだ。
すべての末社が島田くずしをするわけではない。たとえば、中島町瀬嵐という在所では、ふたつの枠旗を傾けてアーチのように合わせ、その下を神輿がくぐり抜けていく。末社によって、祭りの楽しみ方も様々であり、これもまた祭りの見所のひとつである。
この祭りに欠かせないのが、酒だ。一斗樽に燗をした酒を入れ、棒に提げて持って来る、昔ながらのやり方を続けている末社もある。ほんのり柚子の香りをつけた燗酒は、あまりのうまさに飲みすぎてしまう。かつて酒は貴重品であり、飲めるのは祭りの日しかなかった。前夜から夜を明かして飲み続けているので、島田くずしが始まるころには、気持ち良く出来上がって田んぼに寝転がっている人も多い。
早朝から日暮れまで続く長い祭りだが、次々に見どころが変わっていくので見ていて飽きない。酒が好きなら、地元の人たちと一緒に飲みつぶれ、祭りの一日を堪能していただきたい。