巨大な火柱となり夜空を焦がす勢いで、燃え上がる瞬間の気持ちよさを体感していただけただろうか。その熱や迫力は、やはり実際の祭りを見て感じていただきたい。

火を扱う祭りではあるが、神事であるために、どんな天候でも延期にはできない。雨が降り続け、灯油をまいた年もある。しかし実は、完全に乾燥しているよりも、ちょっとしけっているくらいがちょうどよいのだ。そのほうが燃え尽きるまでにかかる時間をじっくりと味わえるからだ。2018年の祭りは大変だった。台風が接近するなか、それでも祭りは執り行われた。その年は異常乾燥で、台風といっても雨は降らず、暴風ばかりが吹きつけた。あっというまに燃え盛る大松明の火の粉は、風にあおられ近隣の山にも火をつけてしまった。幸い、人家には被害が出ず、けが人もでなかった。

30メートルもの高さの大松明は、現代ではクレーンで持ち上げて立たせている。しかしかつては、ロクロを使って人力で起こしていたのだ。今から30年以上も前のことだろうか。人力で大松明を起こしている最中に、その芯となるオオギの木がボッキリ折れてしまったことがあった。祭りはなんとしても翌日には決行しなくてはいけない。その日のうちに慌てて町総出で山に入り、新しい木を切り出したのだという。男たちも大変だが、それを支える婦人会も大変だった。夜通しの作業に備え、町を挙げて炊き出しをしたという。

祭りの当日だけに参加する旅行者は、30分ほどであっけなく燃え尽きてしまう祭りだと思うかもしれない。しかし、このわずかな時間の高揚を実現させるために、地元の人々は一ヶ月も前から準備を始めるのだ。現在、能登島向田町にはおよそ100戸の家があり、その家々からそれぞれ8束の柴を提供することが決まりとなっている。しかし、ひとり暮らしの家が増えてきたため、お金や酒を提供して町会の人に頼むというケースも増えてきている。

大松明は火がついた瞬間だけでなく、倒れるときもまたいいものだ。「ドンッ」と、地響きのような音が鳴る。御幣の争奪戦が終わると、若い衆は「御神木」と「サシドラ」を抜く作業に取り掛かる。サシドラは、大松明を立たせるために使う松の木のつっかえ棒のことだ。7本あるサシドラには、後から引き抜けるように張り綱が結ばれている。この張り綱を持って、大勢の力で一本ずつ抜いていく。来年もまた使えるように、燃え尽きる前に抜かなくてはならない。もたもたして燃やしてしまえば、年長者に「だらしない」とあきれられる。

祭りの当日に立ち合ったら、手松明を投げるだけでなく、サシドラを抜く作業にも加わってみて欲しい。この作業に加わると、地元の若い衆と一体になり、祭りをもっと身近に感じられるはずだ。

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