ずばり、「瑞泉」とはめでたい泉という意味。門に向かう右側の小さな窪みに入ってみてほしい。龍の口からは琉球王国当時と変わらない湧き水が吹き出している。
そして周りは7つの石碑が立っている。実はこれらは、冊封使たちのこの泉に対する感想を記したもの。中でも一番古いとされているのが「中山第一」。琉球王国が誕生する前、沖縄島は三山時代、南山、中山、北山の3勢力が争っており、最終的には中山が島の統一を果たした。中山第一とは、つまり「琉球で一番の水ですね」という意味。他の石碑にも、山の高いところから出る石の乳、清らかな泉があたかも玉のように飛び散る、あるいは、霊妙の水脈からでる香りの高い流れ、など、この水を讃える詩的な言葉が連なっている。
小さな島ゆえに川が少ない沖縄島の生活は、古くから湧き水によって支えられてきた。そして、ここの一番美味しいとされる湧き水を、琉球王国は国王と、そして冊封使の飲料水として使った。冊封使は首里城ではなく那覇に滞在していたが、毎日彼らのためにこの水を汲んで運んでいたという。その量1日およそ200リットル。それが彼らの滞在する半年間も続く。最高の水でお迎えするというおもてなしに、最高の褒め言葉。中国との冊封関係は、文化度の高いものだったことが伺える。