この門は普段は石で塞がれていた。城内で造営や改築工事があるときだけ、石を取り除いてここから木材を搬入していたのだ。建築用の材木は、北部の山原の森から伐採され、加工して船に積み、与那原の港まで運搬し、そこからさらに首里まで運ばれた。その際には村人たちが労働歌として「国頭さばくい」を歌っていたという。
「国頭さばくい」は、今でも耳にする琉球民謡だ。そして、この歌、途中でイーイヒヒヒーヒ、アーアハハハーハと笑いのお囃子が入る。
材木を切って運び出すのは大変な力仕事だ。材木が首里につくと、首里城下や那覇の住民も総動員で勤労奉仕を行なった。そして建物が完成すると、慶賀の大行列が繰りひろげられた。この時は老若男女が全員総出で旗を振り、鐘を叩き、ドラを打ち鳴らし、踊りながら守礼門まで繰り出したといわれている。首里城を作るために人々は一丸となった。その大変な作業を支えたのは、歌であり、笑いであり、そして踊りだったのだろう。